Fate/Zero第25話(最終話)感想
#25「Fate/Zero」
すべてがZeroになり、そして、すべてが始まる。
「Fate/Zero」の最終話は、冬木市の破滅の具現であり、同時に、「未来の物語」へ架ける橋となりました。
切嗣の令呪により、セイバーが宝具で、聖杯を「破壊」した。
しかし、聖杯は却って、「破壊」そのものとなって顕現。
結果、冬木市は稠滅する。虚ろな表情の切嗣が、まるで悪夢の繰り返しのように、瓦礫を掘り返して空しく生存者を探す。
「世界を救う」は「世界を滅ぼす」のアントニム(反義語)であると同時にシノニム(同義語)。
虚淵世界においては、「沙耶の唄」にせよ「魔法少女まどか☆マギカ」にせよ、おなじ命題が反復されるのですね。
「愛すれば愛するほど、今度は破壊したくなる。もう二度と、それのために苦しめられないように」
今年、物故した、SFの抒情詩人レイ・ブラッドベリ「霧笛」より。
愛するイリヤやアイリを弑してまで、正義の味方になりたかった切嗣の宿望が、結局は破壊を呼び込んでしまうという皮肉。
まさに、愛しすぎた故の悲劇なのかもしれません。
一方、言峰綺礼は、切嗣の惨めな姿に失望します。
全存在を賭けるに足る相手と見込んだ切嗣は、完全に無力化。
「空っぽ」な綺礼の、自らの「生の意味」を問う旅は、さらに続くわけですね。英雄王と倶に。
そのギルガメッシュは、受肉。
華麗なるおヌードを、瓦礫の上で開陳するギルさんのドヤ顔に吹いたw
暗黒の物語にあって、唯一の癒し担当であるウェイバーくん。
アレクセイ(ライダー)を偲びつつ、旅に出る資金を貯めるまで、老夫婦のお世話になることに。
老人の、心得た目配せがよかったですね。
セイバーちゃんマジ悲運w
最後まで、バーサーカー(ランスロット)の死を引き摺ってしまいます。
「これは全て、人の気持ちの分らない王に対して課せられた罰だったのかもしれない」
慈悲の王では、ひとを救えない。
ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」を想起しました。
キリスト教道徳の根幹である「同情」が、神を殺した。
超人思想を熱く説くニーチェにとって、憐憫や同情という感情は、人をスポイルする弱者の論理にしか過ぎない。
獅子の如くなれ、哄笑せよ、永遠を手に入れよ!
いやそれって、ギルガメッシュさまそのものじゃありませんかw
雁夜おぢさんは、最期まで救われませんでした。
遠坂凛は、魔術師の家系を継ぎます。
イリヤは、アインツベルクの居城に幽閉されたまま、次の聖杯戦争を待つことに。
廃墟から救い出した士郎は、切嗣の養子となり、すくすく育ちます。
「じいさんの夢は、俺が!」
士郎の、未来への力勁い詞に感応し、失意のセイバーが廃墟から立ち上がって…。
そして、世界の存亡を賭けた物語は続く。
冷冽にして鮮烈な「Fate/Zero」の世界に、2クール、酔いました。
スタッフの皆さん、ありがとう!そしてお疲れさま!
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