うぽって第10話(最終話)感想
#10「でもって うぽって」
怒涛の最終話!
10話でおしまいというとーとつさも、怒涛感に拍車をかけていました。
のどかな臨海学校が、不条理な暴力により、市街戦へと突入。
かつて、アンジェイ・ワイダ監督のレジスタンス映画(「世代」「地下水道」など)の市街戦映像に瞠目させられたのですが、それに近い緊迫感がありましたね。
舞台は、駅前銀座にアーケード街、熱海ですね。先日訪れたばかりなので、すぐ分りますw
シーズンも終わりに近いせいか、駅前銀座は人気も少なく、物憂い静謐に充たされていましたw
銃は銃である。
ゴダール監督の前衛映画「女は女である」じゃないけれど、実存主義テツガクの匂いを感じました。
司馬遼太郎「燃えよ剣」で、土方歳三が沖田総司に語った詞が想い出されます。
「これは刀だ。総司、これは刀である。刀とは、工匠が、人を斬る目的のためにのみ作ったものだ。だからこそ、単純明快で美しい」
銃は、殺傷のために人の造りしものであり、人が使うものである。
ゆえに、殺傷するのは小銃の本能。
かれらは善悪の彼岸にあり、その趨勢を決めるのは、使用者である人間の意思次第。
そんな破壊本能の赴くままに、強襲してきたのが、赤鋼学園のAK銃軍団でした。
狐のお面で襲撃してきたのが、異彩を放っていましたね。
顔を秘匿するのなら、目出し帽でも充分なのですが、あえてディペイズマン(異化効果)を狙ったのかな?
もちろん、女子たちの見せ場も、沢山ありました。
えるちゃんの活躍。あい渝らずマガジン離脱とかに苦しめられましたが、股に挟んで激射し、反動でおぱんつ開帳。
不憫カワイイ!やっぱり、えるちゃんは最高です。
ふんこちゃんも、文字通りの奮戦。
加熱した銃口を冷却しようと、お胸をはだけて水をそそぐ場面は、視聴者へのご褒美ですね。
エロカッコイイとはこの事だ。
そして、現国は死なず。
戦いを止めようと体を張り、敵に撃たれて流血したのですが、すぐに再生!
これはゾンビですか?それともヘルシング?あるいはターミネーター?
「人が人を撃ったときでなければ死なない」という、駭きのローカルルールだったのです。ああビックリした。
銃とは、殺傷のための機械に過ぎないのか?
個としての意思を持ってはいけないのか?
相互理解断絶のまま、赤鋼と青錆は、右と左に別れて去っていきました。
不思議な余韻を残しての休戦です。
そして、締め括りは教室風景。
受験を熱く語る現国に、小銃少女たちが朗らかに声をそろえます。
「アサルトライフルに進級とかありえません」
オチに和みましたw
小銃少女という擬人化設定や、むっちり太腿リスペクトという、非常にフェティッシュ心を擽る作品でした。
マニア垂涎の、という表現を当てるのは容易なのですが、是非マニア以外の人にも視聴してほしい。
終戦ではなく休戦みたいな畢り方も、二期狙いがあるのかな?ちょっぴり期待したいと思います。
スタッフの皆さん、お疲れさま!
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