ヨルムンガンドPERFECT ORDER第12話(最終話)感想
#12「恥の世紀」
少年兵にして、武器を憎む。
そんな矛盾を孕んだヨナは、ココにとって、いわば「人間たちの代表」。
その彼に託されたのは、人間たちにココが與えた、2年間の執行猶予だったのです。
猶予期間中、キャスパーに随って世界をめぐり、あらゆる紛争や戦争をまのあたりにしてきた。
「2年間考えて、答えは出たか、ヨナ?私と世界、頭がイカレてるのはどっちだ?」
ココの過激なやり方も、戦争を止められないこの世界も、どっちもイカレている。
「70万人なんて、あっという間に死んだでしょ?」
ヨルムンガンド計画が発動すれば、確実に70万人が死ぬ。
かといって、放任しても、人は戦争でばたばたと死んでいく。
そんな苛烈な現実を前に、ヨナは降伏し、ココの説く「平和」を受け容れた。
「ココ=ヘクマティアルと新しい世界を旅する」みちを選んだのです。
「若き野心家の行きつく先は、夭折か変節」
前回、そう書きました。
しかし、彼女は破滅することなく、悠々と生き延びました。腹心の仲間たちと倶に。
ヨナの決心をスプリングボードにして、ヨルムンガンド計画を発揚。
計画が完遂するかどうかは、人類が恥を知るかどうかにかかっている。
つまり、自分はきっかけを造ってやったに過ぎない。恒久平和が訪れるかどうかは、人類しだい。
武器商人らしい、巧妙なやり方ですねw
「ヨルムンガンド」は、掉尾に至っても、思想を固定せず、価値観の同時並置を貫きました。
いわば、現実を加工せず、読者(視聴者)に裸のまま示してみせたのです。
ココと対立する立場のキャスパーは、意地悪く問いかけます。
「武器を失くすことができるかな?」
本然の武器商人を標榜する彼は、空を封鎖しても、海も陸もある、と嘯きます。
そして自らは、いざとなれば「棍棒でも売る」と言ってのけました。
人間から闘争本能が消滅しない限り、人間は、武器を取り上げられても戦う。拳ででも殺し合う。
ココは、キャスパーに明確な回答を與えず、ただ、ヨルムンガンド計画の実行を以て、返辞としました。
「貴方と私と、どちらかが正しい道を往く。そして正しいのは私」という、絶大な自恃のあらわれなのでしょう。
このパターンの物語に接するつど想い出すのが、故・石森章太郎のSF傑作「大侵略」(1970)です。
ある老科学者が「逆爆発装置」を開発し、アメリカを初めとする核保有国に、無条件降伏を迫ります。
応じなければ、アメリカが国内に保有する核を、遠隔操作により爆発させる、というのです。
狂人の戯言と一笑に付したホワイトハウス首脳の眼の前で、じっさいに核を爆発させてみせ、アメリカを、世界中を震撼させます。
結論をいうと、老人の真意は、まったく違うところにあったのです。
CIAのエージェントとなっていた、老人の孫息子ケンが、老人を、世界征服を企図するマッドサイエンティストと誤認して射殺してしまうのですが。
老人の、最期のことば。
「やったぞ、ケン!わしは、世界中の核を無力化することに成功した!」
逆爆発装置の完成形とは、すべての核を遠隔操作で無力化することにより、世界に平和をもたらすことだったのです。
しかし、核の無力化も、老科学者の幻想に過ぎなかったのかもしれない。
結末をぷつりと切る「曖昧法」により、「ヨルムンガンド」の結末を髣髴させます。
「大侵略」は、ラストに引用された次のエピソードによっても、忘れがたい印象を遺しています。
ニューヨークのブロンクス動物園の類人猿舎には、かつて「鏡の間」という名の檻が存在しました。
そこに立つと、鉄柵越しに、自分の姿が鏡に映るのです。思わずみつめると、説明書きが眼に飛び込んできます。
「世界で最も危険な動物」。
当時の園長で、動物保護の泰斗であるコンウェイ博士曰く。
「人間は、他の動物を絶滅に追いやった、唯一の動物だ」。
これも、ヨルムンガンド世界にそのまま響いてくるような、痛烈な皮肉ですね。
「ヨルムンガンド、発動!」
…さて、「新しい世界」は、訪れたのか?
いずれにせよ、人類の存亡を賭けた「乾坤一擲」は為されました。
全ての結末は、読者(視聴者)の想像力に委ねられたのです。
ココ組が無敵過ぎるとか、弾丸回避率はブララグを凌ぐとか、東映版「Kanon」以上にアゴキャラ過ぎるとか(笑)、とかくの揶揄もあったようですが。
ピカレスクロマンの佳作として、あの傑作「ブラック・ラグーン」以来の喝を癒してくれました。
スタッフの皆さん、お疲れさまでした!
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