夏目友人帳肆第13話(最終話)感想
#13「遠き家路」
記憶の迷路。
ムシクイに精神攻撃を受け、夏目は、哀しい過去の記憶へと迷い込んでしまいます。
追憶に区切りをつけ、現実に還った夏目。切り通しの径(みち)を抜けた先に、両親と過ごした家はありました。
かすかな、家の記憶。母が庭に植えたはずの花。
しかし、はっきりとは思い出せない。夏目には、すべての記憶が、まるで紗が罹ったように、儚く遠く感じられたのです。
それこそが、「遠い家路」そのものだったのですね。
トペリウスの名作童話「星のひとみ」の、心にずっしり響く掉尾を想起しました。
「さて、星のひとみは、どこにいるのでしょう?(中略)でも、本当の事をその子に聞かせてはいけません。その子は、もうずっと前に、人の心の冷たかったことも忘れているのですし、また、忘れた方がいいのですからね」
辛い想い出は、無理に掘り下げることなく、心の底にそっと封印しておく。それでいいのかも知れません。
忘却とは忘れ去ることなり。人は、そうやって生きていくのだから。
家族とは、「在るもの」ではなく、「造るもの」。
今の夏目にとって、家族とは、藤原の小父さん小母さんなのでしょう。
家族のポートレートを撮影する夏目。そこには勿論、ニャンコ先生もいます。
「所詮、友人帳を頂くまでの付き合いさ」
心を許し合った同士でないと、こんな憎まれ口は叩けるものではありません。
人と妖とが共棲する、家族。
優しくて儚くて、しかも何処かに「勁さ」を遺している「夏目友人帳」の世界に接するたびに、立原道造の詩を想い出します。
堀辰雄や中原中也らとの親交のもと、独逸浪漫派の影響を享けた清澄な作品を遺し、戦前の日本を急ぎ足で生きて、24歳で夭折した伝説的な詩人です。
道造の美しい詩の一節を、幾つか餞(はなむけ)に贈って、感想記事の締め括り、「賛」としたいと思います。
「夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも忘れ果てようとおもい
忘れつくしたことさえ 忘れてしまったときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろう」
「夢見たものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここにある と」
「そして 林の中で 一日中
私は うたをうたっていた
ああ 私は生きられる
私は生きられる…
私は よい時をえらんだ」
お疲れさまでした、スタッフ!
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