2011年12月24日 (土)

輪るピングドラム第24話(最終話)感想

#24「愛してる」

「冠ちゃん、これがピングドラムだよ?」
それは運命の果実。
唯一無二の、愛の言葉。
運命の果実を一緒に食べよう!」
そして、運命の乗り換えが行われた…。

「愛も罰も分け合おう」
冠葉が選択したのは、分け合うことによる「一緒に生きよう」でした。
しかしそれは、状況によっては「一緒に死のう」と表裏一体。
それでも、彼は選んだ。乾坤一擲に賭けた。
「一緒に生きよう」と。

この考えの対極に位置するのが、「がきデカ」で知られる山上たつひこ初期の問題作「光る風」の思想です。
鬼才、山上が提示した、尖鋭かつ鮮烈なパラドックスが、今でも脳裡に灼きついています。
核の放射能で荒廃した近未来の日本。人々は、僅かな食糧に縋りつき、生きようと足掻く。
一人の男が、おにぎりを隠し持っていた。主人公をはじめとする仲間たちが、皆で分けるべきだと迫るが、男は峻拒する。そして叫ぶ。
「このおにぎりを全員で分けたら、たった一粒ずつだ。誰も満腹になれない。だが、俺が食べたら、少なくとも俺は満腹になる!ちがうか?」

最大多数の最大幸福は、原資が豊かなときにのみ適用できる。
それでは、原資が僅かなときは、どうするのか?全員で平等に飢えて死ぬのか
これが「光る風」の提起した「生のパラドックス」でした。

ピンドラの最終回に当たって、私が怖れていたことが、二つありました。

一つは、ウテナの二番煎じになること。つまり、永遠に終わらないアドレッセンスを提示したまま、畢ること。
小林秀雄が、ボードレール「悪の華」に囚われていた体験を語っています。
「私は『悪の華』という完璧な球体に閉じ込められていた。天井から、作者の声が聴こえる。『船長、出発だ』。しかし、何も起こらない。やがて再び、作者の声が響く。『船長、出発だ』。それでも、球体が砕けることはなく、私はやはり虜囚だった」

いま一つは、「相対論の地獄」に堕ちること。
「君たちは呪いから出られることはない。幸せにはなれない」
サネトシは語り続けます。これからも、「そこ」に留まったまま、同じ呪いを語り続けるのでしょう。
われわれ視聴者からは判然としないのです。幾原監督が、高倉兄妹及び多蕗たちと、サネトシと、一体どちらの思想を採ろうというのか
北欧の名匠ベルイマンの処女作「道化師の夜」を、ある批評家が酷評して曰く。
「われわれは、ベルイマン氏の反吐を観させられる理由などない」
そう、幾原監督の「反吐」となってしまうことが、いちばん怖かった。不確定性の地獄だけを見せられることが。

混沌とした世界観を描き切る最善の方法は、表現を明晰にすること
尠くとも、作者の脳内では整理がされていること。
その意味で、ピンドラの表現手法が十全だったかというと、些少の疑問が残ります。
後付けのように語られた「箱の中」の寓話は、あるいは不要だったかもしれません。子どもブロイラーの挿話で充分だったと思います。
そして、桃果亡きあと、「生かされてしまった」多蕗とゆりの挿話も、「屋上屋を架す」憾みがありました。

混沌の果てに、幾原監督が、冠葉、すなわち未来の子供たちに託した結論は。
そうだとしても、運命の果実を頒ち合う!」
…ですよね、カントク?(ノ∀`)

陽毬を救った冠葉は、光の塵となって、消えていきました。
「手に入れたよ、本当の光を…」
そして、晶馬は苹果に訣別を告げます。
「これは僕たちの罰だから(君が来る必要はない)。ありがとう、愛してる」

物語は終章へ。

高倉家で独居している陽毬を訪れる苹果。
カレーパーティです。秘訣は、ルウに苹果をすり潰すことなんですねww
「忘れないよ、絶対に」
しかし、そう断言した陽毬の記憶は消え去っていました。
ぬいぐるみに託された一通の手紙。
『大好きだよ。お兄ちゃんより』
お兄ちゃん?誰?
Σ(゚Д゚;
高倉兄弟は陽毬を救い、そして忘れられた。
しかし、「忘れつくしたことさえ忘れてしまったとき」少女の瞳から、ひとすじの涙が流れます。喩えようもなく、美しい涙が。
そこへ、照応するかのように、幼い姿の高倉兄弟が通りかかり、通り過ぎていきます。
「僕たち、どこへいく?」
「どこへ行きたい?」
「そうだな、じゃあ…」
宮澤賢治「銀河鉄道の夜」を既読なら分る場面ですね。ジョバンニとカンパネルラです。

死と再生。輪廻転生。永遠の旅人。
そう、ピンドラ全編を通底するのは、やはり「銀河鉄道の夜」のモティーフでした。
「ここから去る」
桃果がサネトシのもとを去っていく。「列車はもう行っちゃったよ?」と言い遺して。
幼い兄弟が歩き去っていく。新しい生へ向けて。

それでも、彼らはいつか還ってくる。ここへ。家へ。
だって、そこは「はじまりの場所」なのだから。
そして再び、永遠の出発を繰り返す。それが人間の生存の本質

「忘れないよ、絶対に」
「愛してる」
監督が発した愛の言葉は、視聴者に届いたのか?
われわれは孤独ではないのか?愛されているのか?

「おしまいじゃないよ」
「あたしは、運命ってことばが好き。一人なんかじゃない」

さようなら。そして、有難う

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2011年12月17日 (土)

輪るピングドラム第23話感想

#23「運命の至る場所」

「そして、あなたたちはあの列車で見つける。あなたたちのピングドラムを」
マルチエンディングへの伏線か?視聴者の選択に委ねる意思表示?それとも?
「未知なるX(エックス)に向かって開かれた結末」もキライじゃないけれど、折角ここまで構築してきたのだから、明晰に収斂させて欲しいところです。

運命への叛逆を描いた文学作品といえば。
世界幻想文学大賞受賞の名作、グリムウッド「リプレイ」や、メタミステリの傑作、バークリー「トライアル&エラー」などが想い泛びます。
一方、運命の不可逆と惨酷を描いた映像作品には、クリス・マルケル監督「ラ・ジュテ」があります。
アニメ作品で謂っても、リトライ永久運動の「まどか★マギカ」や、多元的世界線の「シュタインズゲート」は、まだ記憶に新しいところ。
ピンドラも、運命テーマのアニメとして、歴史的な一頁を書き込むことができるのか?期待が愈々高まります。

「ある朝、気づいたんだ。ボクはこの世界が嫌いだということに」
ある朝気づくものなんだ…。(ノ∀`)
呪いであり幽霊であるサネトシが語る、箱の中の哲学
「箱の中の子」だった高倉兄弟や、子どもブロイラーの陽毬や多蕗なら、感覚的にすっと入ってきやすいのですが、南極環境防衛隊員だった事くらいしか分明でないサネトシでは、聊か思弁的に聞こえてしまいます。ルサンチマンの現存根拠としては微妙かも。

16年前に起こった出来事。
「運命の乗り換え」と「呪い」との相討ち。引き裂かれた二人から、ペンギン帽子と黒兎が現界します。
そのまま、帽子の方は桃果の声で晶馬に話しかけてきた!
桃果は双つの存在になっているので、もう一つの帽子(マリオが被っていた方)も桃果なのでしょう。
すると、黒兎はやはりサネトシということで。
桃果が帽子(プリンセスオブクリスタル)だとすれば、あの容赦ない「生存戦略」の数々って、一体…。
普段は温和な人が、車のハンドルを握ると別人に性格が渝る(かわる)って、あのパターンなんでしょうか。

それにしても、世界の破壊を説くサネトシが、心肺停止した夏芽真砂子を死の淵から引き戻したあの力は?
フーディニの魔法?実在の魔術師ですが、脱出魔術を得意としていたので、ちょっと違う気がします。
まさか、サネトシはネクロマンサー(死霊使い)ってわけでもないのでしょうけれど…。
ちなみに、真砂子が冠馬の双子の妹であることが、さりげに確定しましたね。

ピンドラの物語を通底して、キーアイテムであり続けたピンクノートの焼尽。
「愛では人を救えない」
そう嘯くサネトシが、プレ・テロの実践として、桃果を超克する必須条件として、ノートのデリートに成功しました。
時籠ゆりが苹果に託した運命の乗り換えも、これで不可能になったかに見えますが…。
苹果ちゃんが「愛」で覚醒し、憑代なしでも運命の乗り換えを発動させるって熱い展開もアリかも。ってそれじゃ錬成陣なしで錬成するハガレンのエドかww

箱の中で「おーい、出してくださいよー」って感じでカミーユ・ビダンする晶馬w
もう一つの箱から、冠葉が現れる。
「おまえ誰だ?」
これも照応。箱から生まれた運命の子どもたちは、何処へ行くのでしょうか。

次回は、いよいよ最終話です。
彼らは、列車で「出発」できるのか?
そしてそれは、天界に飛翔する銀河鉄道?それとも冥府へ堕ちる地獄列車

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2011年12月10日 (土)

輪るピングドラム第22話感想

#22「美しい棺」

ケーサツが連呼しています。
登校しなさい!」
なるほど、引きこもりだけは赦さないわけだ。って違うかww

この世界は、強欲な者だけにしか、実りの果実を与えようとしない。
だから、そこから身を退いた祖父や自分を美しいと思い込んでいた。
けれど、それは「美しい棺」に過ぎなかった。
太宰治なら「強欲のアントニムは?」「美しいのシノニムは?」と問いを出すところでしょうね。
強欲が醜いからといって、清く律しさえすれば美しいというわけではないのです。世界はそれほど単純ではない。

ある作品を読み解くための鍵は、「共感」だと思います。正の共感にしろ負の共感にしろ。
例えば、自殺について全く思いを致したことのない人に、自殺者を描いた作品(ルイ・マルの映画「鬼火」とか)を見せても、ピンとこないでしょう。
ピンドラで描かれている、幾つかのライトモティーフは、私もいちどは思いを馳せたことがあるものばかり。だから、理解もし易いのです。

テロに奔る冠葉。ペンギンフォースに充ちた携帯を駆使して、当局の車を次々と爆破していきます。
狂信的な冠葉が追い求める、不可能な理想と、不可能な愛。
あまり狂信しないタイプの私ですが、冠葉の無軌道な行動に些少の違和感を覚えつつも、何処かで「親和力」を感じている自分が居ます。
こんな世界、爆発してしまえばいいんだ
一度でも夢想したことのない少年がいるとすれば、あらかじめ去勢された子どもです。そう思います。

どちらかといえば、自分や他人にあまり期待しない、醒めた子どもでした。
小学校の作文に「将来はサラリーマンになりたい。というか、そうなっていると思う」と書いたのは私ですww
勉強や運動は坦々とこなし、一方で、本やマンガやアニメや映画に異常に耽溺する、そんな子どもでした。
三島由紀夫が、自らの子ども時代を回想し、書いています。
「絶えず椿事を待ち望んでいる少年」「舞台を駆け抜けるように、人生を駆け抜けてしまいたいと願った」
そんな三島を愛読しつつ、眩しくも感じていました。彼我の差に駭きを覚えながら。
とはいえ、それなりに理想はあったし、人生に望むものだってありました。でもそれは、人生そのものより、「既に表現されたもの」から汲み取ったものが大きかったかな。
現在では違う考えですが、まだ世界そのものが狭かった少年時代には、「人生から汲み取れるものなんて殆どない」とさえ極限して憚らない子どもだったのです。
理想と、内なる現実との乖離。その齟齬が、「表現されたもの」に向かわせたのだと、今なら分ります。
私もまた、「椿事を翹望する少年」だったのかもしれません。

ピンドラの物語には、何組かの「愛のかたち」が描かれています。
冠葉の、陽毬への愛は強権的にして、攻撃的。すなわち父性
「おまえが死んだら、おれはこの世界を赦さない。灼きつくしてやる!」
一方、真砂子や陽毬が示したのは、無私の愛、受容的な愛。すなわち母性
「私が冠ちゃんからもらったすべてを、命を返しますから」
「いいわ、私が囮になる。その間に冠葉を」
どちらが義しいわけではない。ただ、いずれも破滅的な愛だというのが、哀しいばかりです。
誅滅を回避する「解」は、未だ在ると思うのだけれど…。

「りなちゃん」で、多蕗が刺された!
オスカルもどきまだ居たのか。嫉妬のあまりの凶行。むしろ吃驚です。
多蕗とゆりは、どう収束するのでしょうか?
「僕たちは、あらかじめ失われた子どもだった
桃果だけが逝き、自分たちが遺されたのは、「おまえを愛してる」という一言が欲しかったから。
不要とされた大多数の子どもたちを代表して語る多蕗です。
ちなみに、「あらかじめ失われた恋人たちよ」と謂えば、1971年制作のATG映画ですね。あの田原総一朗が、監督として関わった作品です。

おしまいに、表現と演出について、偶感です。

ダブルHがマフラーのお礼に現れる暖かい場面から始まって、冠葉を護るという決意を胸に仁王立ちする真砂子の悲愴な映像で畢る。
あざやかなコレスポンダンス(照応)といえます。

冠葉と真砂子の緊迫したやり取りが続くなか、ペンギン1号が、かたくなに堅い読書を続ける場面。
「2011年宇宙の旅」「こころ」。
この頑なさは、冠葉の心の堅さの表象かな。
傍らで、猥褻グラビア誌で気を引こうとしているのに吹いたのはナイショだww

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2011年12月 3日 (土)

輪るピングドラム第21話感想

#21「僕たちが選ぶ運命のドア」

The Fall of the House of Takakura.
高倉家の崩壊。

高倉家の秘密が、白日の下に曝されました。
冠葉と晶馬は、同じ日に生まれただけの他人。
そして、冠葉と夏芽真砂子は、実のきょうだいだった。
冠葉の父の葬儀における回想場面。
「冠葉、おまえを選ぶんじゃなかった。私は家族に失敗したよ
親は子を選べず、子は親を選べない。屡々、言い慣わされる台詞ですが、この父親は、子どもを選んだと言うのか?しかも失敗だったと。
冠葉こそが、そんな暴言を吐く父親をmissしたと謂えるのではないのか。
だからこそ、剣山の真率な言葉が、冠葉の心を搏った(うった)のですね。
「おまえを息子に迎えた日の事を誇りに思ってるよ」
家族とは、血の繋がりなのか、心の繋がりなのか…。

多蕗が、荒廃した「リナちゃん」を訪れました。
そこに見出したのは、K・高倉の縫い取りがある、ダウンジャケットをまとった骸骨。
ケンザン・タカクラか。地獄少女三鼎の、もう死んでいた薄倖の少女、御景ゆずきを想い出させます。
それにしても、ピンドラはフェイクに充ち充ちていますねえ。油断も隙もない感じ。
K・高倉が「カンバ・タカクラ」だったとしても、もはや駭きませんww
時籠ゆりが、そっと寄り添います。帰りましょうと慫慂しながら。
「私たちの復讐は、おわっていたのね」
多蕗・ゆりの線はこれにて落着、なのかな。

サネトシの恩師である、鷲塚医師が登場し、証言します。
「南極環境防衛隊」がピングフォースの原型?サネトシもそこにいた。
彼は、非合法なグループの首魁となり、事件を起こして、そして死んだ。
サネトシは語ります。
16年前は桃果に邪魔されたけれど、再チャレンジする。子供たちに、意志が引き継がれる。
「僕は幽霊なんです。呪いと言ってもいい」
剣山は幽霊でした。サネトシもまた…?
医学者である鷲塚は、幽霊のような非科学的な存在を否定するのですが、サネトシの態度がまた微妙ですね。

中国に、こんな説話があります。
幽霊なんて信じないと嘯く論客の男のもとに、蒼ざめた顔の男があらわれ、幽霊は実在する、と論を挑んできました。
白熱の議論の果てに、ついに男を言い負かしてしまいます。
すると、男は口惜しそうに「私がその幽霊なんだ」と言い遺して消えました。
論客の男は、それからどっと患いつき、程なくして死んでしまったとのことです。

かりに幽霊だとしても、何がサネトシを現在世界に固着させているのか?
革命の亡霊?テロへの妄執?
黒田喜夫の不気味な詩「毒虫飼育」を想起しました。

老母と四畳半のアパートで暮らしている、もと革命家の主人公。
ようやく職にありつき、その記念にと、老母は蚕を飼おうとします。
かつて、彼女は故郷の村で、桑畑を営んでいたのです。
しかし、孵った虫は蚕ではなく、脈動する背に棘のある異様な姿をしていました。

三十年秘められてきた妄執の突然変異か
刺されたら半時間で絶命するというジギヒトリに酷似している

おかあさん革命は遠く去りました
革命は遠い砂漠の国だけです
この虫は蚕じゃない

だが嬉しげに笑う鬢のあたりに虫が這っている
肩にまつわって蠢いている
そのまま迫ってきて
革命ってなんだえ
またおまえの夢が戻ってきたのかえ
それより早くその葉を刻んでおくれ

他ブログを廻っていて気づくのは、高倉家に象徴される「家族」の在り方について、さまざまな意見が寄せられている事実です。
家族の再生の可能性を論じる人もいれば、子どもブロイラーに着目し、「人間の生そのものに仕掛けられた装置」だと述べる人もいます。
私は前者の立場をとります。ピンドラの物語は、たとえ親がどれほど否定的に描かれようと、「家族の物語」だと思うからです。それは、陽毬と晶馬との交情の美しさや、苹果ちゃんを始め、多蕗とゆりなどの情感を籠めた描き方を見れば分ります。
後者の、家族再生を信じない立場のひと。その人はおそらく、「家族にさせられた」意識しかなく、「家族となることへの能動的な意思」が欠落しているのでしょう。
子どもは、誰もが成長儀礼として、「家族への不信」というイニシエーションを通過します。
しかし、やがては、家族やおのれの立場を肯定するようになります。それが成長というものです。
だって、親子に限らず、家族や係累を否定して生きることは不可能なのだから。

私たちは孤独ではない

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2011年11月26日 (土)

輪るピングドラム第20話感想

#20「選んでくれてありがとう」

子どもたちを「子どもブロイラー」に送致して透明な存在に変えてしまう、そんな世の中は許せない。革命だ

革命家にしろテロリストにしろ、「世界を救う」という発火点は同じ。
だから、高倉父のアジテーションに虚妄の影はなく、赤心(せきしん)からのものでしょう。だからこそ、怖ろしいのですが。
「選ばれないことは、死ぬことなんだよ」
そうかもしれません。しかし、狂信家に必要なのは、一歩退いて、自分の考えを客観的に検証することではないでしょうか。
議論のための議論になりますが、例えば「透明」だって、絶対悪と言えるのか?
少なくとも、親の庇護がない子どもたちを物理的に保護することは必要。それを「透明」と言うなら仕方がない。もはや認識の相違。
魯迅「狂人日記」の主人公は、人が人を「喰う」社会に恐怖するあまり、竟に狂ってしまいます。
狂人の最期の台詞。
「人を喰ったことのない子供は、あるいはいるだろう?子供を救え…」

高倉家は、擬似家族。本当の子どもは、実は晶馬だけ?冠葉は夏芽だった?まだ即断はしかねるのですが。
「リナちゃん」で、社会を憂える高倉父と、陽毬を救わなくちゃと呟く冠葉とのすれ違いっぷりに吹いたww
冠葉は、別の意味で狂信家のようです。

愛した仔猫を処分され、失望の果てに、自らブロイラーに向かった陽毬。
「私は透明になっても、これだけは残る」。
晶馬と燦ちゃんとで過ごした、懐かしい記憶。それは「暖炉で燃え残った錫の兵隊の心臓のように」いついつまでも陽毬の心のなかに燠のように残り、暖めてくれる。
ここは、不覚にも落涙しそうになりました。佳い場面で、佳い演出です。
(/_<。)
マルセル・カルネ監督の名画「悪魔が夜来る」の美しいラストシーンを想起。
恋人同士が、悪魔の奸計によって石像に変えられても、なお心臓だけは熱く動いていた。悪魔の力を以てしても、人間の愛だけは滅ぼせなかった。
1942年制作のこの作品は、ナチスの暴虐に耐え抜いたフランス人の心意気を示した名作として語り継がれています。

「キスは消費される」
「『可愛い』が消費されたから」
これらの台詞に、幾原監督の所謂「消費されるアニメ」を重ね合わせるのは自由ですが、それだけではないはず。
作品って、ひとつの理屈だけで読み解けるほど貧しいものではありません。そう信じたい。
ルイス・ブニュエル監督の「黄金時代」を想起しました。
全編が諷刺と暗喩に充ちた超現実主義映画です。いま観ても、かなり難解。
しかし、当時の観客(ブルジョア)たちは、上映途中で怒り出し、スクリーンを切り裂く暴挙に出ました。
理解できないなりに、ブルジョア侮蔑や涜神のにおいを嗅ぎ取ったのでしょう。

素人の観客を侮ってはいけない。ちょっと眼はしの効くクリエイターは、本能的に知っています。
彼ら素人には、作品を総合的に把握する能力はないが、細部だけを観て末梢反応する嗅覚には長けているからです。

「今宵はりんごたっぷりカレーじゃぞ」
やばい、りんごちゃんも消費されるのか!でも食べたい!!
Σ('∀`;)

人物の作画イメージが顕かに変化したと思ったら、作監は林明美さんか。
フルーツバスケットのキャラデとか想い出して、懐かしい…。

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2011年11月19日 (土)

輪るピングドラム第19話感想

#19「私の運命の人」

魯山人風すき焼きは、卵など使わない。鍋に張った煮汁自体の味で勝負する。具は豆腐と長ネギだけだ」
って、海原雄山先生が言ってたよ?
(ノ∀`)

荻窪の味リナちゃん」で、テロリスト両親と逢っていたとは…。
陽毬の生命を賭しても、知らぬ存ぜぬを貫き通したアレは何だったのでしょうか。裏切りの街角?
ギルクラの涯さん辺りの裏切りなら当たり前なのですが、冠葉のコレは、胸に徹え(こたえ)ます。実際はどういうことなのか知りたいですね。
リナちゃん、いかにも荻窪駅の裏横丁にありがちなお店ですが、野菜炒めライス830円はちょっとな。

「僕たちに、親はいらない!」
「そうだな…」
その親からシノギをもらっている冠葉のキモチは複雑です。
現実を知悉している彼は、晶馬ほど無邪気になれない。これもまた「成長」の対価なのでしょう。
まだホストだと誤解されている方が、冠葉にとってはラクなのかもしれませんね。

スタッフの精神攻撃
退院した陽毬ちゃんの居場所を徐々に消去し追い込んでいく演出は、まさに鬼畜です。見事です。
「よかったら、そこのエプロン使って」
「あ…」
あたしのエプロンなのに。彼女の内心の痛みが、視聴者の痛覚に、直接訴えかけてきます。
そして、ダブルHの画像が流れる。ここにも、あたしの居場所はなかった。
動揺する陽毬を、夏芽真砂子さんが強襲。衝撃の真実を告げます。

本当の家族でもないくせに!あなたが妹のふりをしている限り、冠葉は帰ってこられない!冠葉を返して!

夏芽と陽毬。いま必殺の日輪フラッシュ!
アイマスのいおりんも吃驚の、おでこフラッシュの応酬です。おでこで会話するって何ぞww

陽毬もまた、子どもブロイラーの人だった。そして、手を差し延べたのは晶馬だった。
「ぼくたちは、家族になるんだ」
運命の果実を分け合うことにより、三人は家族になった。もしくは、家族という名の運命共同体に。
この奇妙な輪は何なのだろう?
三島由紀夫の不思議な掌編「三人」の結尾を想起しました。
「今夜から、私たちは三人になるんだよ、坊や」

「ありがとう、私を選んでくれて」
陽毬ちゃんの慎ましやかな笑顔が眩しい。イノセントって素敵。
でも、イノセントから遠く離れた私などは、つい考えてしまうのです。選ばれない人々のことを。
選ばれなかった大多数の子どもたちのために合掌。(/_<。)

運命の操つり手、眞悧の意味深な呟きが気になります。
「彼女、日記を燃やしてくれるかな。あれがあると、僕はゲームに勝てないんだよ」
彼の「ゲームの法則」とは?
日記が「桃果の乗り換え魔法」を象徴するなら、眞悧は「運命の神そのもの」なのかもしれません。
ちょっと、「プリンセスチュチュ」の最終話を想い出しました。

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2011年11月12日 (土)

輪るピングドラム第18話感想

#18「だから私のためにいてほしい」

「なんと、手が幅を利かせる世紀だろう!」(ランボー「地獄の季節」より)

今回のピンドラは、「手ごたえあるマッス(量感)」が心地よい、充実した話数でした!各所での評判もいいようです。
もちろん、多蕗の復讐、ゴンドラ宙吊りの陽毬の危難、駆けつける晶馬。緊迫感溢れるプロットとしても充実していたせいもあります。
しかしここでは、別の角度から語ってみたいと思います。象徴と暗合を駆使した手法。
すなわち「」について。

多蕗少年の「手への自傷行為」に始まり、「冠葉の手を取り返しのつかないほど傷つける」という復讐で了る。
さらに、多蕗の手の傷は、桃果の手の甲の黒い傷ともコレスポンダンスします。
何故なら、それは、多蕗少年を連れ戻そうとしたときに負った傷だから。
「これで私たちはおそろい。きっとそうなる運命だったのよ」
桃果のこのことばが、多蕗の「手への妄執」を完成させたのです。

また別の場面。
「ライフラインを焼き切ります」
子どもブロイラーの係員が、ガスバーナーで事務的に、桃果の手という「ライフライン」を焼き切ろうとする。たまりかねた多蕗少年が叫びます。
手を離せ!」
いやだ!」
実の母親にも手を離されてしまった自分を、離さないと言ってくれた!
その衝撃はそのまま、ワイヤーを離さない冠葉への嘲りとなって繋がっていきます。
このままだと、君の手がダメになってしまうよ?」
絶対離さねえ!」
冠葉の勁い言葉に虚を衝かれ、滑稽なほど狼狽える多蕗。
それはそうでしょう。桃果にしか為し得ないと思い込んでいた崇高な行為を、冠葉がやってのけたのだから。
この瞬間に、多蕗の復讐は浄化され、そして終焉したのです。ここでも「呼応」が巧みに使われています。

念のため言い添えますが、手法や理論が万能と言っているわけではありません。それらはあくまでも、表現上のツールです。
幾原監督や演出者が、作品の狙いを明晰に理解し、ツールを、必要にして充分な巧みさで援用してみせた
その、すぐれた感性と技術の冴えとに、心からの拍手を送ります。
象徴と暗合に充ちた瑰麗な演出に、ダヌンツィオの名作「死の勝利」を想起しました。
恋人たちが、転落事故死を偶然に目撃する場面で始まり、その恋人同士が崖から墜落して無理心中する場面で了る。死の匂いに充ちた、世界屈指の恋愛小説です。

さらに、呼応つながりで付記すると。
子どもブロイラーでは、要らない子どもたちを粉々に砕いて透明な存在にする
この閉塞状況もまた、夏芽の口癖「いやだわ、早くすりつぶさなくっちゃ」に呼応しているのではないでしょうか。

「苹果ちゃん、僕のようになっちゃダメだ」
そう呟いて、蹌踉と去っていく。でも、石田だし、まだまだ退場するとは考えられません。がんばれタブキくんww
とても気になったのは、苹果が多蕗のようになる可能性が未だあるのか?ということですね。

冠葉が、父親の組織していた残党と今も繋がりがあることも、明らかにされました。
夏芽さんの台詞が、次回への予告ですね。
「冠葉…。もうあの家には一刻も置いておけないわ」

あとは、余談に亙ります。

ペンギン1号の「種がはじける」お笑い演出とか。
あるいは、多蕗がどうやって落下する陽毬を救い上げたのかとか。
そんな瑣末は無視しましょうwww

見事な台詞や演出に出逢うと、反射的に、かつて味わった名作傑作を想い出して引用したくなります。私の癖です。
以下列挙。

「私が聴いたのは(ピアノの音じゃなくて)あなたの心だもの」
「やめろよ、そういうの!ばかばかしいよ!」
(バルザック「知られざる傑作」。天才画家が最期に描いた傑作とは、何も描かれていないカンバスだった。)

「鳥は、外へ出られなくなったんだ」
(萩尾望都「エッグ・スタンド」から、主人公の少年の台詞。
「タマゴの中に、死んだヒヨコが入ってるんだ。カラを割れないで死んだ、黒いヒヨコ。ぼくは、目を覚ましてカラの外に出たくて、ママを殺して村をとびだしたけれど、まだ自分が生きてるのか死んでるのかわからない」)

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2011年11月 5日 (土)

輪るピングドラム第17話感想

#17「許されざる者」

「おまえならできる。なぜなら、ピングドラムは、それは、おまえ…」
「おれには、無理だ」

♪あきらめたーらーおーわりー♪(「咲-saki-」よりED)
(ノ∀`)

プリンセスの呟きの続きが気になります。
ピングドラムはおまえ?
冠葉が?それとも冠葉による何か?
幾原監督、まだまだ視聴者をズラしていく気満々と見た。

病室でたこ焼き三昧の饒か(ゆたか)な家族風景。やっぱり、たこ焼きには青海苔だよね。
具の蛸も、イキのいいのを使わないと不可ません。
イキがよすぎて、オクトパスの大逆襲になっちゃってるけどww
蛸によるペンギンの活き造りという惨劇は、かろうじて回避されました。よかったよかった。
しかしこの蛸、磔刑に処されてもなお生きてますね。まさに「死なない蛸」だ。

生娘VS賞味期限切れの死闘。
BGMのノリはもはや西部劇。気分はすっかり荒野の用心棒です。
獲物はガトリングガンとクロスボウ。熾烈な戦いが、いま開始された!
ペンギンがいろいろイフェクトを飛ばしてますが、すぐれて演劇的手法ですね。地下演劇で、よくこういう場面を観ました。

果てしなく続く天国へのエレベーター。
「これから、高倉家の人間に罰を与える」
多蕗くん、やっぱり遺恨に思い為していたんですね。時籠さんを窘めたアレは何だったのか。
仕方ないね、石田だしねwww
ただし、時籠さんの罰と多蕗くんの罰は、同じ罰とは限らないのですが。

罰とは、罪のアノニム。(太宰治「人間失格」より)
それでは、高倉兄弟の罪とは何なのだろう?本当に許されざる者とは、誰なのだろう?
罪と罰の本質を糾弾することもできるし、軽やかに流すこともできる。すべては監督の胸先三寸。

サネトシはサネトシで、悠々と語り(騙り)ます。
「人間の世界では、真実は必ずしも本当のことじゃない。人間は、見たい願望とか欲望を真実というんだ。人だって殺せるんだ」
「もうすぐ戦争が始まる」
たいそう意味深なことを述べてるし。
どうやって韜晦してくるのかな。どんな寓意を籠めてくるのかな。戦争ってなあに?16年前の厄災再び?
僕の街は戦場だった
そんな事にならなければいいのだけれど。

ともあれ、陽毬ちゃんのタイムアウトが心配だ。

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2011年10月29日 (土)

輪るピングドラム第16話感想

#16「死なない男」

夏芽真砂子さんの口癖「すりつぶさなくっちゃ」は、祖父譲りの遺伝だったというお話。

「時籠ゆりさんの事情」に続いて、夏芽家の事情が語られました。
DV風味だったゆりさんの場合と様異なり、笑いを取りに来てましたね。
祖父殺しの悪夢ごとに繰り返される、祖父の素振りと「すりつぶされんぞ」。こういうリフレイン手法は結構好きです。
「チャイナマネーにやられちゃいな」のダジャレに至っては、どう対応していいのか流石に困りましたがww
あと、憑依されたマリオを突き飛ばした拍子に、庭の池泉に転落し、横溝正史あるいは大坪砂男「天狗」のように、水面から両脚がにょっきりとか。
構図も冴えてました。思わず苦笑です。
あとは、フグ刺の一気食いかな。「清濁併せのむ」という箴言がありますが「無毒と毒を併せ喰う」というのは壮絶。
真砂子さんムチャしやがって…。
サネトシに「しびれるねえ」ってドヤ顔させなかったのは、制作側の含羞か。敢えてやっちゃうのも一興だったかもしれません。

今回は、特に進展も詰め込みもなかったので、ゆったりとお笑いを愉しめた感じですね。箸休めとして、丁度いいかも。
ただ、冠葉と一緒にいた夏芽父と黒服たちの関係は気になりました。
明らかに「一味徒党」って感じだったので、16年前のテロを、何らかのかたちで引きずっているのか。
陽毬を生存戦略するための資金源がコレだとすると、何とも皮肉な話です。

フグ毒の衒学趣味は、知ってても面白かったけれど、真砂子さんが駆使する用語は、凄腕トレーダーにしてはちょっと薄かった。
スラップスティックに特化した馬鹿馬鹿しい話ほど、細部には偏執的なまでにこだわるべきというのが笑いの鉄則。
もちろん、充分面白かったのですが、さらに磨きをかけて、捲土重来を期待してます。

そうそう、多蕗くんがまったく語られなくなったのも要チェックや!(笑)
ミステリだと、大体このパターンは不意打ちに繋がりますからね。石田キャラがこのまま消えるはずもないし。

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2011年10月22日 (土)

輪るピングドラム第15話感想

#15「世界を救う人々」

これは反語なのか?
ジョセフ・フォン・スタンバーグの名画に「救いを求むる人々」(1925)があります。
社会のどん底に生きる一家を描いたこの短篇は、当時、笑いの陰で「人間」を描くことを目指していたチャップリンに激賞され、スタンバーグは世に出て、のちに「嘆きの天使」「モロッコ」など、映画史に残る名作を制作しました。

今回のピンドラは、私の心に響きました。
もっと精確にいえば、私の心に響くモティーフやガジェットに充ち満ちていたのです。
取り留めもない「想い」が脳裡を逍遥していますが、全力をあげて、「思索の航跡」を文章化したいと思います。

時籠ゆりは、「本当は」何をされたのか?
通常の児童虐待と考えてもいいのですが、父親の行動から推察するに、彫刻家としての創作衝動に深く根ざした行為、と考えてよいでしょう。
しかもどうやら、その衝動は、「面伏せな欲望」に基づくもののようです。
ゆりの父親は高名な彫刻家。
サモトラケのニケや、ミロのヴィーナスに似た古典的彫刻を制作している。
通底するのは、頭部や腕の「欠損」。欠損の美学。
彼の美意識は、欠損という妄執にバインドされているらしい。
だから…。

「ママは、愚かで醜かった。だから、ママはあんなことになった」
「パパの手でゆりを改造させておくれ」
父親が示唆した人体改造とは、何を意味するのか?

①ゆりは実は男の子。「余分なもの」とは男根。改造とは、♂⇒♀という切除(去勢願望)を意味する。
②その逆に、♀⇒♂という形成手術?腕や脚を傷つけたのは、美容整形の手術例のとおり、同じ体の皮膚を転用して、男根の形成を行おうとした。
③もっと厭な想像は、ゆりという「人体素材」を使用して「欠損彫刻」を創造し、妄執する美を体現しようとした。床に転がった彫刻の脚が、その象徴。

ダビデ像は男色の象徴とも言われています。ゆりパパに男色の嗜好があったとするなら、トランスヴェスタイトとも繋がりがあるでしょう。そこから、①の予想を導き出しました。②は、その裏返し。
最後に使おうとした「フィレンツェの鑿」が、どのような隠喩かは分明ではないのですが、「美しいツールで本物の美を造り出す」ということかな?これは、③に繋がっています。

…何ともビザールな予想になってしまいました。('A`|||)
どれも外れていればいいと思います。ただの比喩だったとかね。

荻野目桃果(豊崎愛生)ちゃんは、リーディングシュタイナーだった!

日記により、運命の乗り換えができる。「乗り換え」というキーワードにより、電車のモティーフがここでも裏書されました。
そして、運命を乗り換える呪文の代償としての「傷害」。これが、のちの悲劇を惹起したのか?

「神さまが造ったものだから、みんな綺麗」
いわば汎神論的な思想に、フェリーニの名画「」の美しい台詞を想起しました。
「この世に要らないものなんてないのさ。道端の草も、あの星も。あんただってそうだ」
ゆりパパのおぞましさに対蹠するような、桃果ちゃんのイノセントな美しさに、感銘を受けました。ゆりが惚れちゃうのもよく判ります。

代償ないし対価としての人体発火。もはや錬金術の世界です。
そして、「あの事件」によって、桃果は「あっちの世界」に逝ってしまった。
時籠ゆりの願望が、ついに明確になりました。
「日記の呪文で、桃果をこっちの世界に取り戻す」
夏芽真砂子が日記に執着する理由も、まさに同じなのでしょう。
そしてそれは、陽毬をこっちの世界に取り戻そうとする高倉冠葉にとっても…。

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