GOSICK第24話(最終話)感想
#24「死神の肩越しに永遠をみる」
そして、少女は海を渡った。
「知と愛」ということばがあります。
この二つは、しばしば対比される概念。
ほぼ全編を通じて、「知の絶対者」として君臨したヴィクトリカ。知は彼女の矜持そのものだった。けれど。
「ぶざまでもいい!誇りよりも大切なものを見つけたのだ!」
絶大な矜持を捨て、命乞いをしつつ雪原を這いずり回って逃げる姿に、その必死さに、彼女の「本気」を見ました。
「灰色狼」という「人間以上」の知能をもつ特殊な出自ゆえに、母娘二代に亙って追われ、迫害され、数奇な運命を辿った。
灰色の絶望の果てに、少女の碧い瞳が見出したもの。
ヴィクトリカは、愛を、ユリイカ(発見)したんですね…。(/_<。)
あたかも、大正か昭和初期に隆盛をみた、大河ロマンを眺めているような気分でした。
異国への憧憬と、フロンティアスピリットにも似た冒険心。海へ騎りゆく人々。
エキゾティシズムと戦乱のうねりとをこもごも背景にして、繰り広げられたもの。
一弥とヴィクトリカの、ボーイミーツガールの物語。
そして、対比されるように描かれた、さまざまな愛のかたち。まっすぐなものもあれば、歪んでいるものもある。愛とは、そういうものなのだけれど。
コルデリア。あらゆる艱難を嘗めた灰色狼は、ただ娘だけを愛した。わが魂の分身として。
ブライアン・ロスコー。凛として前だけをみつめるコルデリアに「希望」を見た二人は、命をかけて愛し抜いた。
ルパート国王。ココ王妃への妄執から、長い歳月、罪の意識に苦しめられていた。愛に渇いた、孤独な権力者。
さて、視線を転じると、遠い戦場で戦う久城一弥の姿が。
部隊は全滅。あの鬼上官も、庇ってくれた仲間も、等しく死んだ。
地獄の戦場で、一弥はひたすらヴィクトリカを想い、死ではなく、生に向かって突貫していく…。
皆さんもそうだと思いますが、ここからの演出は、あらぬことを想像させられました。
あらゆる不吉な結末、といった方が正鵠を射ているかな。
不吉な結末への連想を、それぞれ引用してみると。
一弥の、見えない敵に向かって突貫する悲愴な姿。
主人公の青年が、シューベルト『菩提樹』を口ずさみながら、硝煙のなかに消えていく。(トーマス・マン『魔の山』)。
精神世界で、砂漠を這いずり回る。何故か下半身は見えない。
(今思えば、この演出は、雪原を這って逃げるヴィクトリカとの相似形だったんですね)
戦争で両手両足を喪った夫と、その妻との、地獄の愛欲図。江戸川乱歩『芋虫』
瑠璃に手をひかれ、一弥の帰還を待ち続けるヴィクトリカ。
戦争が終わったら、また逢おうね。主人公のモノローグが流れるなか、二人の遺影が無惨に映し出される。(今井正監督『また逢う日まで』)。
…そんなわけで、もんぺ姿で立ちつくすヴィクトリカの不安は、私自身の不安でもあったのです。
そして、帰ってきた!
一弥は、五体満足で帰ってきました。ちゃっかりと、髪の毛まで元に戻って。
しかし、ヴィクトリカの金髪は、銀髪に変わっていた。彼女が潜ってきた辛労の大きさをそのままに。
一弥にとって異国への憧憬だった金髪は、「人生の重み」を加えた銀髪に。
彼は、心から賛美しました。「綺麗だ」と。
掉尾をかざるのは、まるでヴァージンロードにも見紛う、二人の幸福そうなショット。
ただ、そこには、アブリルちゃんはいないのだけれど…。←まだぬかしおるww
スタッフに物申す。すばらしいGOSICKの最終回にあって、アブリル・ブラッドリー嬢の扱いだけが非道すぎる!
この手紙が、二人に届くなら。万感の想いを籠めて、瓶詰の手紙を海に託す。
瓶詰の手紙は、無情な波によって押し戻された!
「なんなのよ~!!」
まさに『瓶詰の地獄』だ!まるっきりお道化さんじゃないですか!
(; ・`д・´)
まあ、極小な少数意見として、前向きに受け取めていただければ…。
ポーランド侵攻が1925年に繰り上がったことで、最後の最後で、巨大な時系列トリックを仕掛けるのかとも思ったのですが、流石にそれはなかったか。
ふつうに、1929年に、戦争は終結していましたね。
これほどの大団円な終劇を見るのは、本当に久しぶりです。
深夜に視聴したのですが、清冽な感動を味わうことができました。
これが、本当の「物語」です!
ありがとうスタッフ!ありがとう桜庭先生!
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