このはな綺譚第11話
神様の休日は、夜を徹しての酒池肉林。いや、肉林は少なめだったかな。
おねえ神に舐められる棗も、ちょっと見たかったかも(笑)。
今回も、脇を固める声優さんが豪華でした。
戦の神は、大塚昭夫さん。重鎮っぽい使われ方だから、まだ問題はないのですが。
芸能の神Aは置鮎龍太郎さん。芸能の神Bは草尾毅さん。
おねえな演技が大爆発です。悪ノリに近いほどの熱演です。
何という置鮎さんと草尾さんの無駄遣い!
思わず慨嘆してしまったのは私だけではあるまいw
でも、お二人とも楽しそうに演じているのが印象的でした。
「このはな」を視聴し終わったあと、いつも心に残る「何か」。
それは、物語としての、骨太のメッセージです。
昔はいくさが多くて、祭りも多くて、活気があった。
弁天さまにも紛う美女に化生した女将が、往時を懐かしみます。
とはいえ、ハロウィンみたいな仮装行列だって悪くはないし、戦争など起こらないに越したことはない。
戦神が無聊をかこつ太平楽な世の中も、決して捨てたもんじゃない。
だけど、もっと日本古来の、固有のものを、みつめ直すべきなんじゃないか。大事にしてもいいんじゃないか。
Aパート「神様の休日」のエピソードには、原作者のそんな深い想いが込められている気がします。
同じことが、Bパートの、お菊ちゃんとリリィのエピソードにも云えます。
ラスト、持ち主の女の子に見出され、幸福そうに微笑むリリィちゃん。
「よかったね、リリィちゃん」と、すなおに落涙することもできるでしょう。
でも、そんな感傷だけでは終らない「何か」が、このエピソードにはあるのです。
菊「これからは、思う存分人間を呪っていいのよ」
リリィ「あなた、人間が憎いの?」
菊「あんな量産型の人形に乗り換えやがって!」
分ります!ガンダムがグフに乗り換えられたほどの口惜しさなんですよね!(違
それは冗談ですが、お菊ちゃんの狂態を笑いながらも、何処か落ち着かない気分にさせられるのは。
彼女の呪詛が、実は、われわれ自身の呪詛に他ならないからです。
お菊ちゃんは「わたしはお菊じゃない!」と繰り返し訴えて、誰にも聞き入れてもらえません。
思わず笑ってしまうのですが、考えてみれば、われわれの名前だって親が勝手につけたもの。自分で選んだものじゃありません。
なのに、一生付き合わなければならない。不条理といえば、これほどの不条理はないでしょう。
だから、お菊ちゃんを笑えないのです。
『人形は、人間に愛されなくなったら、それが寿命』
捨てられたリリィは、静かに呟きます。彼女の諦観が、われわれの心を打ちます。何故でしょうか。
人間だって同じだからです。
人が一所懸命生きようと努めるのは、畢竟、この世界に居場所が欲しいから。つまり、「世界に愛されたい」からに他なりません。
しかし、人間も結局は、リリィと同じ運命を辿ります。
だから、心が壊れてしまう。
世界なんかに最初から期待しなければ、心が壊れる辛さを味わわずに済みます。
でもそれは、とても寂しい人生になるでしょうね。
リリィちゃんが、あの子に愛された想い出だけを抱いて、ひっそり街の片隅で消えていくラストだって、作者は選べたはず。
でも、リリィちゃんにもお菊ちゃんにも、暖かな救いが齎されました。
これだけの伏線を張っての上だからこそ、感傷に堕すことのない感動が現前するのですね。
「このはな」という作品の、腕の冴えを感じる瞬間でした。
次回「大晦日の奇跡」
戦の神(大塚昭夫)
芸能の神A(置鮎龍太郎)
芸能の神B(草尾毅)
リリィ(前田玲奈)
少女(白城なお)
彼氏(中村太亮)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント