キノの旅第10話
評判が悪い国を訪れたキノは、思いがけない歓待を受けました。
クールなキノをして「もっと滞在したい」と云わしめるほどの心地よさでした。
しかし、その優しさには秘密があったのです。
「優しい国」とは、火砕流による滅びが定められた国だった。それが真相でした。
さくらちゃんの健気さに落涙しそうになりつつも、視聴後、私の心に去来したのは、複雑な感慨でした。
この「優しさ」って、実は何なのだろう?
数日後の滅亡が確実なのに、逃げようとはしない。むしろ、愛する国の悪評を払拭したい。
だから、偶然に訪れた旅人のキノを歓待した。優しい国だったという記憶を外に伝えていってほしいから。
いわば、形を変えた愛国心です。
しかし、裏を返せば、滅ぶというきっかけがなければ、この国の人たちは悪評の上に胡坐をかき続けたことになります。
喩えていえば、ずっと悪人だった人間が死を間近にして、人に悪く思われたまま死にたくないと急に思い立ち、改心してせっせと善行に励む。
そんな身勝手さが、何処かに纏わりついているのです。
善行には変わりないのだから、って割り切る方途もあるでしょう。
でも、釈然としないんですよね…。
釈然としないのは、キノも同じだったようです。
さくらちゃんの手紙で、すべての真実が氷解した場面の描写に、それが表れています。
「私が持っていても仕方ありません。あなたのです。お気をつけて。わたしたちのことを忘れないで。さくら」
手紙によって、さくらちゃんもまた「運命を知り、受け入れていた」ことに気づいたキノが、彼女の真心に心揺さぶられながらも、思わず吐露した台詞。
「さくらちゃんをむりやりにでもお預けされなくて助かった。ホッとしている」
「だろうね」
「エゴだよ。これはエゴだ」
エゴ。厳しい言葉です。
初見時は、キノ自身に向けたものかと速断したのですが。
この言葉はむしろ、さくらちゃんをも含めた「優しい国」の人々へ向けた鋭い批判の矢ではなかったでしょうか?
だからこそ、以下の台詞が続くのだと思うのです。
「いい国だったね」
「ああ。文句の云いようもないさ」
文句の云いようもない。キノの台詞には、ある種の苦さが滲んでいます。
感動を提供しながらも、視聴後に奇妙な「割り切れなさ」を遺す。
やはり「キノの旅」は、端倪すべからざる作品です。
今回のエピソードは、さくらちゃん役の子とか、銃砲店の親爺の正体とか、2003年版キノに繋がる由来がいろいろあるみたいですね。
さくら(天野心愛) あまのここあと読むようです。リアル13歳の、可愛らしい女優さんです。
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