このはな綺譚第2話
「神に仕える尊い役職じゃぞ!大役を果たせば、おぬしの姉君も見返してやれるぞ!」
皐ちゃんにとっては悪魔のささやき。いや、神のささやきでした。
彼女は、出来のよい姉にコンプレックスを抱いていたのですね。
ずっと、巫女として神に仕えることが望みだった。
でも、選ばれたのは自分でなく姉だった。それどころか、姉の柊の身代わりに「此花亭」へ奉公に出された。
皐ちゃんのプライドはズタズタです。
「なりたい人よりならせたい人」
人事の鉄則が、巫女社会にまで生きているとは…。ファンタジーの世界も世知辛くなったなあ(違
そんな皐の揺れる感情を、神である花蒔妹は見逃さなかった。
「つかまえた」
ゾクッとしました。それまでお笑い担当でしかなかった花蒔妹が、とつぜん見せた怖ろしい表情に。
あたりまえと思っていた現実が、一瞬にして「魔の空間」に変貌する。こういう瞬間こそが、物語の醍醐味なのです。
「待て、仲間って…。わたしを樹の栄養分に使う気か!」
やばい!
皐ちゃんが大桜の憑代となって消滅し、「このはな」は2話目にして強制終了?
梶井基次郎「桜の樹の下には」やブライアン・オールディス「地球の長い午後」など、人が樹の養分と化する小説やSFは、枚挙にいとまがありません。
でもこれは、そんな怖ろしいアニメではありませんでした。大桜は満開の花を咲かせ、皐ちゃんは無事。
巫女たちが春を言祝ぐ踊りを披露します。その中には、姉、柊のあでやかな姿も。
みつめる皐ちゃんの吹っ切れたような表情がステキでした。
いつか望みがかなうといいね皐ちゃん!
にしても、神の力だけでは不可能だった「枯れ木に花を咲かせる」神事を実現してのけた皐ちゃんの秘められた霊力には計り知れないものがある、というのが実感です。
物語を読む功徳は、想像力が涵養されること。
私たちを取り囲む貧寒とした現実から離れて、「もう一つの現実」を体感させてくれる。それこそが、物語の力。
逆に云えば、想像力を働かせる余地のない物語にはひかれません。ファンタジー作品でさえも、想像力貧困なものはいくらもあります。
「このはな」は、視聴者の心に想像力の花を咲かせてくれる滋養分を匿しています。作品世界を支える土壌が豊かなのです。だから、好きです。
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