プリンセス・プリンシパル第10話
「友だちって云ってくれたお礼に、クリスマスプレゼントをあげる。あなたが友だちを撃たなくてすむチケット」
「さようなら、ドロシー」
委員長が、自らこめかみを撃ち抜いた!ドロシーの手を汚させないために。
鮮血が飛び散る衝撃的なシーンに、度肝を抜かれた視聴者も多かったはずです。
昨夜のツイッターに「映画の名作を観ているかのよう」と記したとおり、このシーンに、シドニー・ポラック監督の名画「ひとりぼっちの青春」(1969年)を想起していました。頭を撃ち抜かれたヒロインのクローズアップショットが鮮烈で、委員長の悲惨な最期と二重写しになったのです。
この名画と今回のエピソードの連関については、後ほど詳述します。
エピソードとしては、スパイ養成所の同期生である委員長エレノア、ドロシー、そしてアンジェによる「スパイ悲話」。
委員長が手引きする城に潜入するミッションの真の目的は、委員長の二重スパイ疑惑を暴くこと。
疑惑が真実なら、親友でも抹殺せねばならない。
そして、悲劇は始まります。
私のアニメレビューには、映画や文学や演劇との比較論が頻出します。
これは畢竟「アニメは(最終的には)総合芸術になりうる」という持論ゆえであり、文芸批評でいえば「比較文学」に当たります。
あくまでも理想。そんなアニメ作品にそうそうお眼にかかれるわけではありません。
しかし、私の渇を癒してくれたのが「プリンセス・プリンシパル」。
この作品には、はっきりと「アニメとしての文法」、それを援用する「明確な意思」が感じられます。いわば「構え」のある作品。
だから、普段はおっぱいとか腋とかようじょとか騒いでいる私も、プリプリを前にしては、襟を正して語りたくなるのですね。
唐突な比較ですが、スパイはサラリーマンと似たところがあります。
ともに無名の存在のまま、組織の歯車として働き続け、歯車としての用をなさなくなれば弊履のごとく捨てられる。
世界のスパイ文学は、007やミッション・インポッシブルなどのエンタメと違い、リアリズム文学として進化してきました。
文豪サマセット・モームが自らの諜報員体験を元に発表した「アシェンデン」(1928年)から始まり、エリック・アンブラーやグレアム・グリーンを経て、ル・カレ「寒い国から帰ってきたスパイ」という画期的なリアリズム名作により、頂点を迎えます。
プリンセス・プリンシパルは、過去の貴重な財産であるエンタメ路線とリアリズム路線とを巧みに取捨選択して、効果を上げているといえます。今回は、リアリズム路線における見事な達成でした。
天涯孤独な少女たちをスパイに仕立て上げる養成所「ファーム」での日々。
主席を争う委員長とアンジェ、二人の真摯さを生来の明るさでまぜっ返すドロシー。
個性が異なる三人は、いつか奇妙な友情で結ばれていた。
ミッション自体は、ベアトちゃんの「犬笛」による活躍もあり、あっさり成功。
三人だけ残った同期生+ベアトちゃんで、同期会を兼ねてパブで打ち上げです。
未成年の二人を帰したあと、21回めの乾杯。酒豪のドロシーとタメを張るとは。さすがは委員長ですね。
しかし、委員長は、トイレに立ってこっそり皮下注射。眼の下に隈ができています。
麻薬っぽいけれど、この時代だとモルヒネかコカインかな?
彼女が寝返ったのは、心の隙を衝かれて、麻薬で籠絡されたのでしょうね。
ここから、物語は一気にカタストロフを迎えます。
さて、「ひとりぼっちの青春」です。
映画の原作は、ホレス・マッコイの小説「彼らは廃馬を撃つ」(1935年刊)。
アメリカ大恐慌時代に流行した過酷な「マラソン・ダンス」に勝利して、優勝賞金で人生をやり直すことを夢見た二人。しかし、全てはやらせであり、「嘘」だった。
賭けに敗れ、人生に絶望した女は、パートナーを務めた主人公に「あたしを殺して!」と叫ぶ。
主人公は女を射殺し、罪を認めて従容と連行される。
「なぜ彼女を撃ったんだ?」
詰問する警官に、主人公はぽつりと答える。
「だって、ダメになった馬は殺すだろう?」
彼らは廃馬を撃つ。そのタイトルに込められた真の意味が、ラストに至って氷解する、あざやかな構成の名画でした。
アンジェと主席を争い、風のように自由なドロシーに憧れ、でも結局はスパイとしての熾烈な生存競争に敗忸。
そんなエレノアを「廃馬」だとは思いたくない。思いたくないのですが…。
「スパイとサラリーマン」について。
コントロールに何が起こったのだろうか。直属の上司であるLが左遷され、後任は、見るからにタカ派の軍人ジェネラル。
文民統制から軍部による統制へ?王国側のグランド・フリート計画といい、なんとも硝煙臭いにおいがしますな。
「みごとにやりとげた君たちには、さっそく次の任務についてもらう」
いい仕事をしたあとの最高の報酬は、次の仕事。
これ、サラリーマンの掟。仕事は続くよどこまでも。
諸君、これが人生です(笑)。
それでも、廃馬にはなりたくないなあ…。
個人的な感慨は擱いて、ジェネラルの指令は意想外のものでした。
「プリンセスを殺してもらう」
軍部の暴走?王位継承権第四位のプリンセスを弑する意味は?
影の実力者となりつつある正体を知られてしまったのか?
もう第10話。そろそろ、結末が気になるところです。
時系列をシャッフルする手法でスタートした本編。ふつうに考えれば、物語の冒頭に回帰し「そして今も、アンジェたちはスパイを続けているのです」で纏まりそうな感じなのですが。
「虚実の皮膜」を描くことに注力するこの作品。
少なくとも、あざやかな「裏切り」は用意してくれている気がします。愉しみです。
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