プリンセス・プリンシパル第11話
「あなたのそういうところ、大っキライだった!
さよならアンジェ。二度と姿を見せないで」
これはダブルミーニング?
眼の前にいるアンジェに語っているとみせて、プリンセスは、過去の自分を否定し訣別しようとしているのですね。
ついに、コントロールから、プリンセス暗殺指令が下った。
もうあなたを護り切れない。カサブランカの白い家に、二人で逃げよう。そう嘆願するアンジェ。
しかし、プリンセスは決然と言い放ちました。
「だめ!私は壁をなくすって!私がプリンセスでいる限り、ここから離れることはできない!
そうよ、プリンセスはわたし!あなたが一人で消えてちょうだい!」
怖れていた、二人の断絶がついに。
プリンセスになろうとした娘。
街の浮浪娘は、孤立無援な城の中で生き延びるため、全存在を賭けてプリンセスになろうと必死であがいた。
そしてついに、プリンセスと「同化」した。
その代償として彼女は、自分の幸福も、命さえも、「プリンセスであるため」に犠牲にする。そういうメンタルに追い込まれてしまったのかもしれません。
ナポレオンがいみじくも喝破したとおり、「制服が人間を規定する」悲劇がここにも。
ついに、共和国は軍部主導と化し、ノルマンディー公の暗躍もクライマックスを迎えました。
王国軍の海外兵という不満分子を糾合し呼応して、戦勝祈願式における英国女王の暗殺をきっかけに一斉蜂起し、プリンセスを女王位につけようというのです。
映像表現について。
蕭条たる白い雪に覆われた、清浄なクイーンズ・メイフェアの情景。
しかし、プリンセスを取り巻く学友たちは、ノルマンディー公や共和国側の少女スパイ。
無垢な白い雪と、黒い人間模様と。
白と黒。この対比が、映像によって雄弁に語られる。巧みな象徴です。
そして、台詞による象徴もまた。
ご学友(実はノルマンディー公の部下)が、まるで見すかしたかのように、プリンセスに云います。
「国を守る。それが、王族の責務ですものね」
はっと吐胸を衝かれるプリンセス。故意の暗示かは判りませんが、プリンセスの心を刺したのは確かです。
映像と台詞とによる象徴の森。
それこそが、プリンセス・プリンシパルのすぐれた技巧なのですね。
ゼルダの造形って、誰かに似てると思ったら。
海馬瀬人様でした!
ドロシーが更迭され、ちせは遠く故国へ去り、そしてベアトは…
ベアトちゃん?ベアトちゃんはどうした?
そうだ、ベアトちゃんがいたじゃないか!
ベアトちゃんを呼べ!
アンジェとプリンセスの、心が痛むような訣別のシーンのあと、ちせと堀河公との会話場面を挟み、サングラスをかけたプリンセスが姿を見せます。
ゼルダに問われて、彼女は答えました。プリンセスにチェンジリング(扮装)したアンジェとして。
「プリンセスを暗殺した。彼女は、最後まで自分を信じて死んだ」
でも彼女は、本当はどっち?
プリンセスに扮したアンジェ?
それとも、プリンセスに扮したアンジェと見せたプリンセス?
リドル・ストーリイという小説ジャンルがあります。
フランク・ストックトン「女か虎か」(1884年発表)が有名。
闘技場に閉じ込められた若者。扉の向こうから現れるのが、女だったら生きられる、虎だったら死ぬ。
さて、現れたのは、女か虎か?
そこで物語は唐突に終わります。結論は宙ぶらりんです。モヤモヤします。
短篇小説ならそれもアリでしょうけれど、「プリンセス・プリンシパル」では、リドルじゃない明確な結末を観たい!
ここまで彼女たちを追っかけてきた視聴者の、切なる願いです。
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