プリンセス・プリンシパル第9話
「白いカブを投げつけると聞いたが」
「それは決闘!それにカブじゃなくて手袋です!」
カブを投げつける?手袋のかわりにカブ?
これって、どういう思い違いなの?
カブ(turnip)
手袋(gloves)
単語としては似ても似つかない。これを、どうやったらカン違いできるのか。
おそらくですが、グラブ⇒カブの聴き違いから生じた、ちせちゃんの誤解に由来するのかと。
もしかすると、明治期に実際にあったエピソードなのかもしれませんね。
英語の発音をカン違いすることによる滑稽な笑い話は、幾つもあります。
いま思いつく逸話で有名なのは、シェイクスピア「ハムレット」の台詞由来のもの。
「to be or not to be that is the question」。
これは「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」と訳されるのが通例なのですが。
まだ翻訳が未発達だった明治時代には、こんな訳文が実在していました。
「あります、ありません。それは何ですか?」
さて今回は、クイーンズ・メイフェアにおける、ちせちゃんの波乱万丈エピソード回。
授業では、クリケットの球を豪快な居合抜きではじき飛ばし、笛が吹けないのでほら貝を吹き、美術ではベアトちゃんを浮世絵ふうのジャポニズム化してしまう。
フェンシングの他流試合でも、イヤミな男子生徒キャメロンとの決闘でも、破格の行動力を示す。
英国と日本との、彼我の文化の違いから生じる笑いを単純に嗤いつつ、ちせちゃんの可愛らしさを愛でるだけで充分かと思います。
しかし、何もないところにも「考察」を見つけてしまうのがブロガーとしての矜持(笑)。
トライしてみますね。
文化人類学のタームを用いると、英国におけるちせは「異人(ことびと)」。
遥かな極東から来たちせは、秩序がすべての英国社会において、異質な存在。
メイフェアでの彼女は、決して歓迎されてはいません。特に、英国階級差社会を代表する頑迷固陋かつ東洋人を侮蔑するキャメロンとは、はっきり敵対します。
ゆえに、まつろわぬ者という意味で「まれびと」とも云えます。
彼女はまた、「トリックスター」でもあります。
「世界の秩序を混乱させ、物語を牽引していく」神話的な存在。それがトリックスター。
日本でいえば、「古事記」に登場する素戔嗚尊がそれに当たりますね。
ちせちゃんは神ではありませんが、このエピソードにおいては、メイフェアを攪乱する神に等しい働きを示しています。
本来のトリックスターの役割は、融通無碍にして破天荒な行動により、世界を変革する。
いわば「進歩」を演出するものです。
しかし、ちせちゃんの齎した波紋にもかかわらず、クイーンズ・メイフェアは、つまり英国社会は変化しないでしょう。
この頑なさによって、大英帝国はその後、斜陽の一途をたどることになります。
考察はここまで。
旧約聖書のダビデの石投げを髣髴させる、ちせの投擲により、決闘に大勝利。傲慢なキャメロンも悲鳴を上げつつ降参です。
そして、プリンセスたちチーム白鳩が、ちせの勝利を祝ってへんてこな土俵入りを披露してくれました。アンジェの和太鼓伴奏つきです。
何とも珍妙な情景ですが、気持ちが嬉しいってヤツですね!
真心さえあれば、文化の違いを超えることもできる。ほのぼのするラストでした。
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