地獄少女宵伽第11話
ゆずき「好きって、いろんなかたちがあるって思うの」
明「違う!あの人は逃げたいんだ!」
確かに、奥さんは逃げてしまいました。
明少年の好意からも。
このエピソードは、地獄少女三鼎第2話に当たります。つまり三期です。
大雑把に括ると、一期は流される側に問題があった。ゆえに勧善懲悪。
二期は、前回の「黒の轍」にみられるように、流す側にも流される側にもそれぞれ事情がある矛盾を衝いた。
三期は、流す側にも大きな問題がある。
DV問題を取り扱った「籠ノ鳥」は、まさに典型的なエピソードでした。
ドメスティックバイオレンスが時に複雑な様相を呈するのは、暴力をする側とされる側に、奇妙な依存感情が生まれるケースがあること。
例えば、親に虐待された子供が、親を恨むのでなく、逆に庇うことがある。
おとうさん(おかあさん)は悪くない、きちんと従えない自分が悪いんだ。
小さな子供にとって、酷い親でも親は親。心の何処かで信じている。いや、信じたい感情がある。
暴力側が巧妙で卑劣なのは、「飴と鞭」を無意識的にも使い分けていること。
妻をさんざん殴りつけながら「これはおまえを愛しているからだ」と囁く。
ただ苛めるだけでなく、時に思いがけないプレゼントを与えて喜ばせる。
だから、妻は錯覚させられてしまう。
「このひと本当は、あたしを愛してくれてるんだ」
電器店夫婦のDVも、性的な要素が混在しているだけに、複雑な様相を呈している可能性が。
世慣れていない少年には、そうしたオトナの機微は理解の外でしょう。
いや、もちろんそんな歪んだ関係性を是認してはいけないのですが。
さらに、少年自身のメンタルにも、実は問題があります。
奥さんへの同情なのでしょうが、そこには、思春期特有の、性的好奇心が入り混じった恋愛感情も隠されている。
覗きの場面とか、明少年が劣情を刺戟されている様子が視聴者にもはっきり分るように描かれています。
「明日、いらっしゃい」
少年に云い遺して、そのまま奥さん失踪。
分りやすい解釈は、高校生の明が年上の女性を護るなんて現実的には困難。彼の人生をも狂わせかねない。だから奥さんは姿を消した。
もっとうがった見方をすれば、明少年の「好意」自体が曲者。過度な好意や同情は、過度な保護者意識に繋がるから。
「この人は自分が護ってあげなきゃならない」
⇒「自分だけが護れる」
⇒「自分のもの」
奥さんは、苛められる側に固有の鋭い感覚で、明少年の正体を察知し、危惧したのかもしれません。
この少年もまた、夫と同じに、いつか暴君に変貌してしまうかもしれないと。
地獄コントはキレッキレでした。おもしろかった。
電器屋だけに、仕置きも電気仕様です。
「電気の使い過ぎだ!」
「これ以上…むり…」
ある意味、電器屋として本望かも。いや電器屋さんこんな死に方したくないかw
女性は征服されたがってるモノだと思い上がった世の男性たちに、ある辛口女性コメンテーターが鋭い舌鋒を飛ばしていました。
「男も、ツッコミされる痛さを一度経験してみればいいのよ!」
納得です。このコンセント地獄には慄然とさせられました。
でも、あいちゃんにツッコミされるならいいかもw(支配されてる
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