プリンセス・プリンシパル第6話
ドロシーはデイジー。
自分を捨てた母親の名前をコードネームにしていたのですね。
いじらしいぞドロシーちゃん…(泣)
待望のドロシーのターンだったわけですが、モルグを舞台にしたエピソードだけあって、けっこう陰惨でした。
幽霊通り奥のモルグに、ノルマンディー公と接触する男がいる。それがドロシーの父親ダニー。
暴力に耐え切れず母は失踪。残された幼いドロシー(デイジー)は、泥酔した父のDVを受ける毎日です。たまりかねて家出して、スパイになったのでした。
さて、コントロールの指令により、ドロシーは連絡役のベアトちゃんと一緒にモルグに潜入して、死体相手に働く日々。
ダニーの狙いは暗号表。ノルマンディー公に売り渡して一攫千金を夢見ているのです。
ついに、ベアトとドロシーは、搬送された死体の歯から暗号表を発見!父親を救うつもりで、それを渡します。
欣喜雀躍したダニー親父は、ノルマンディー公の側近であるガゼルの待つ教会へ。
大金を手に入れて、美人の娘に服を買ってやるんだ!
はしゃぎまくる彼を、ガゼルは冷然とみつめています。
「こんなクソみたいな人生とはおさらばだ!」
「そのクソみたいな人生を終わらせてやるよ」
「え…違……」
親父に指定されたパブで、美味しいスタウトを飲むドロシー。
ベアトちゃんの声マネが受けて、客たちの大合唱。英国のパブらしいのどかな情景です。
その夜、モルグに新しい死体が増えました…。
このシーンでは、映像の対比と伴楽との相乗効果による演出イフェクトが最大限に発揮されていました。
心暖まるなごやかな情景と、モルグに運び込まれた無残な死体映像との対比。
そこに、ドロシーと父親の想い出の歌がかぶされる。お見事のひとことです。
いい感じのアル中具合といい、鼻のあかい風貌といい、ディオ様の親父に似てますな。
粗暴だけど実はお人よしのダニー親父。だからこそ、ドロシーちゃんは度重なるDVにもかかわらずイイ子に育ったのですね。ディオは悪の暴帝と化してしまったけれど。
ダニー親父は傷病兵です。失った右腕のかわりに、鉤爪が装置されています。
ウィリアム・ワイラー監督の名作「我等の生涯の最良の年」を想起しました。
1946年のアカデミー賞を総なめにしたあの映画では、傷病兵役を本物の傷病兵が、つまりリアル鉤爪兵が演じています。
彼を含めた主人公たち三人が、戦地から故郷の街に帰還する。彼らが、戦争の爪痕をいかに克服していくか、その苦悩と再生とをヴィヴィッドに描き切った、実に感動的な作品でした。
戦後問題は扱いが難しく、今回のプリプリのように、短い尺で感動を生み出すのは不可能に近いといわざるを得ません。
それでも、クソみたいな人生をリライトし、愛する娘とやり直そうとするダニーの愚直な姿は涙を誘います。
結局、スパイの峻厳な論理によって夢は儚く潰されてしまうのですが。
今回、アクションシーンは少なめでした。でも怒りのドロシーちゃんはかっこよかった!
モルグについて。
日本の警察署にも遺体安置室はありますが、欧米のモルグ(死体公示所)は、日本人から見てかなり異様な場所。
身元不明の死体は全てここへ運ばれて、一定期間、公示されます。人々が、死体を自由に見に来れるのです。
人生の終着駅であるモルグには、さまざまなエピソードが残されています。有名なのは、19世紀末のパリのモルグにおける「セーヌ川の身元不明少女」。
自殺した少女の死に顔があまりに穏やかで美しかったために、デスマスクまで制作されて複製が流布し、世間の評判になりました。
リルケの名作「マルテの手記」にも引用されています。
【追記】
ダニー親父の傷病兵云々ですが、ふと気づいて観直したら、モルグのじいさんは自分の脚の不具を「戦争で」って云ってるものの、ダニー親父自身は右腕を失ったことを「事故で」と云ってました。事故即戦争とは限らないので、記述を保留します。
一般庶民の自前ではコスト的に難しいはずの鉤爪を装置できたのは傷病兵だから、と考えたのですが、「腕のいい蒸気技師」ともあったので、工場等での労災で補償金が出た可能性もありますね。
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