【アニメ】マイベストエピソード10選
ぎけんさんの企画「マイベストエピソード」に参加します。結果的に上限いっぱいの10編を選出。自分でもびっくりです。ほぼ年代順に並べてみました。
こういう事をやってると「SIGERU仕事しろ」ってお叱りが何処からか飛んできそうな予感がしたりしなかっTARI。(TARI TARIも挙げたかったなあ)
◆ラブひな 最終話『祝!サクラサクのは東大?恋?みんな』
何もかもが懐かしい。ラブひなからでさえ、もう16年が過ぎたとは。
乙姫むつみ(雪野五月)さんのあらあらまあまあ的な天然ヴォイスに羽化登仙。
東大一直線から日和った主人公、浦島景太郎。瀬田に士道不覚悟をなじられ、ジークンドーでさんざん打ちのめされた景太郎を庇うむつみさんの台詞が最高だった。
「いいじゃありませんか。東大じゃなくても。二人でどこかの大学に入って、そして…。景太郎さん、わたし、ずっと一緒にいますよ。ダメですか?」(若干うろ覚え)
正ヒロインのはずの成瀬川が吹っ飛んでしまった瞬間でした。不憫なり堀江由衣w
ひなた荘とは何だったのか。不思議な余韻を残してお話は終わります。
◆スクライド 最終話『夢』
『スクライド』はトータルでも傑作なのだが、あえて最終話を取り上げてみた。
とにかくラスボスの無常矜持(白鳥哲)が嫌な奴でねえ。
ストレイト・クーガーのようなナイスガイ(笑)やシェリス・アジャーニのような献身的なキャラがいるだけに、無常のいやらしさが屹立していた。
白鳥サンは鋼の錬金術師でもグラトニーのような不気味な役をやっているが、無常矜持は畢生の名演技だったんじゃないだろうか。
理想的な(憎たらしい)敵役がいるとバトルが白熱するという好個の例だ。
◆ちょこッとSister 第22話『はじめての御主人様』
妹が欲しいというはるまの願いに応えて、クリスマスの夜に届けられた妹、ちょこ(斎藤桃子)。
何の違和感もないままに、兄と妹はアパートで二人暮らしを始める。とんでもなくインモラルな(笑)設定に瞠目させられたちょこシス。
この話数が印象深いのは、ちょこの消失が視覚的にもあざやかに演出されていたからだ。
知人に詰問されたはるまは、つい云ってしまう。
「いるわけないだろ、妹なんて」
『わたしお兄ちゃんの妹なのに。だったらわたしは…』
歩いていたちょこの姿が雑踏に一瞬だけ隠れる。次の瞬間、ちょこ消滅。Σ(゚Д゚;
ワンピースだけがふわりと落ちる。落ちて路上に虚しく骸をさらす。この視覚効果の威力は強烈だった。
目撃してしまったゆりぴょん(釘宮理恵)は恐らくPTSDに。全国のちょこファンは、はるまの迂闊さと薄情さに怒り狂い、絶叫したはず。
「返せ!返せよ!ちょこはボクのだ!」
◆そらのおとしもの 第2話『天翔ける虹色下着(ロマン)』
『そらのおとしもの』はスラップスティックアニメとして良い出来だったが、この話数はまさに衝撃的。
「ぱんつだな?」
「ああ、ぱんつだ」
「なるほどぱんつ」
当時の視聴者は、ただただ茫然と呟くばかり。
EDで毎回流れる懐メロ、この回は『岬めぐり』。あまりの抒情に、もう笑うしかなかったあの日。
なお、第1話の、イカロスパワーによって智樹の願いどおり実現した「誰もいない世界」もインパクト強力だった。次点として挙げておく。
◆侵略!イカ娘 第5話『飼わなイカ?』
どちらかというと騒がしいタイプの作品『イカ娘』だが、たまに抒情を入れてくる。
ミニイカ娘と栄子との友情を描いた一篇の散文詩ともいえるこの話数は、その静謐きわまる情感で涙を誘った。
こうした試みは、アメリカのシリーズ物アニメ、たとえば『トムとジェリー』などに散見されるが、我が国では珍しいのではないか。こういう実験作をもっと観てみたい。
ちなみに、イカ娘のOPは脳破壊作用があるので注意が必要。
◆屍鬼 最終話『蔡蒐(さいしゅう)話』
最終話だけ観て衝撃を受けてそのあと全編を一気見したという伝説の作品。大晦日前の深夜だったこともあり、エピソードに漂う凄愴の気が物凄く、印象深い視聴体験だった。
当時の記事の冒頭部分をそのまま引用します。
夜半に視聴していて、しだいに慄えが兆してくるのを止められませんでした。
何かとんでもないものと向き合っている、と直観したときの、あの心のふるえです。
閉鎖的な村で、凄絶な屍鬼狩りに淫する村人たち。
審判の日の神の浄火の如く、刻々と迫りくる山火事。
最後の破局に向かって、次々と死んでいく登場人物たち。
そして、屍鬼になってもなお神の恩寵にすがろうとする沙子に、やさしく諭すように呟く室井のことば。
「神は語らない」。
この台詞で、慄えは最高潮に達しました。
神不語(かみはかたらず)。大好きなベルイマン映画の台詞そのもの。だから響いたのかも。
◆喰霊-零- 最終話『祈 焦 -いのりのこがれ-』
これも最終話だけ観て衝撃を受けて全編を一気見したという伝説の作品。伝説多いな自分w
同じく当時の記事の引用。黄泉の台詞に泣いたッ!
「殺生石よ。私の本当の望みを知ってるわよね。
それは、神楽。
あの子を守りたい。あの子を全ての不幸から守りたい。あの子を全ての災いから守りたい。
お願い、あの子を守って、不幸を消して、災いを消して…
――たとえそれが私自身であったとしても!」
・゚・(つД`)・゚・
愛する神楽にとって、自分は厄災にしか過ぎない。それを知ってなお殺生石に願いをかける黄泉が、もういじらしくていじらしくて。
この作品、第1話がいきなり全滅エンドから始まる倒叙形式を取っているんだよね。当時、公式でもフェイクを仕掛けた外連技(けれんわざ)で話題になったのを覚えている。
◆世紀末オカルト学院 最終話『マヤの文明』
『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』から始まった「アニメノチカラ」枠の掉尾を飾る力作。
伊藤智彦監督の演出上の膂力(チカラワザ)が遺憾なく発揮された最終話だった。
またまた当時記事の引用。
どうしても結末を直接見届けたくて、翌日の仕事の事など忘却し、深夜の視聴を敢行しました。
しかも、それだけの見返りがあった!
これほど牽引力のある、熱と力とがはっきり感じられる最終話は、本当に久しぶりです。
知的な構成に秀でた、しかも爽やかな余情が漂う、稀にみる後味のいい最終話でした。
第12話の、愛する文明くんに捧げるポエムを呟きながら、白魔術師の姿で従容と死に赴く千尋さんも素敵だったなあ。それは次点!
◆輪るピングドラム 最終話『愛してる』
正直に言おう。メタ的な仕掛けばかりが前面に出る(ように視える)作品は、実はあまり好みではない。
傑作『ピングドラム』でさえも、話数によってはその弊を免れているとはいえない。
だが、最終話はよかった!
サネトシの呪いに代表される「不確定性の地獄」から軽やかに飛翔した高倉兄弟。宮澤賢治『銀河鉄道の夜』を思わせる別離と出発が、例えようもなく美しかった。
◆とある科学の超電磁砲 第11話『木山せんせい』
最初は子ども嫌いだった木山先生が、子どもたちとの交情を深めていくシークエンスに泣けた。泣けただけに、そのあと子どもたちを襲う悲劇がさらに慟哭を呼ぶのだが。
当時も書いたけれど、映像のモンタージュ技法が見事に決まっていた。
「子どもは嫌いだ」
「騒がしいし」
「失礼だし」
「悪戯するし」
「論理的じゃないし」
「子どもは…」
木山のモノローグとともに、子どもたちとの交流映像がリフレインされる。ほぼ同一の映像を繰り返しつつ、要所に絆理ちゃんとのエピソードを挿入することで、別の意味を持たせていく。これは、映画でいえば、ロシアの天才監督エイゼンシュテインが開発したモンタージュ技法。それが、移り変わっていく木山の気持ちを巧みに演出していた。
最後に呟いたときの木山の心は、あたたかいもので充たされていたにちがいない。
視聴者に「泣き」だけを押しつけてもダメ、かといってテクニックに溺れてもダメ。
演出の巧緻と、心に響く情味との幸福な出逢い。それを象徴する話数だった。
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