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2012年11月18日 (日)

ヱヴァンゲリヲン断感【まだ見ぬヱヴァQへ、愛を籠めて】

ヱヴァQが始まりました。いち早く視聴した方々の率直な意見が、潮騒のように流れてきます。やはり、毀誉褒貶があるようですね。
いずれ観劇してから判断したいと思いますが、今は、ヱヴァ好きとして、これまでのヱヴァを概括し、ささやかなリスペクトに換えたいと思います。とうぜん、断章になります。

ヱヴァンゲリヲン初号作(TV版)は好きだ。大胆な思考実験を繰り返したあげく空中分解、解体された感のある25話、26話ですらも好きだ。

だってワクワクしたし、何だかんだ言ったって、あのTV版のインパクトがなかったら、ヱヴァはいま、新劇どころか、かけらも遺っていなかっただろう?

「完結感はあるが印象薄い。無難」という作品と「バクハツ気味だけど、何だかすごくおもしろい」という作品があれば、必ず後者を採る。私の気質。

ヱヴァが、完成された作品だとは言わない。むしろ真逆。恐らくは、道半ばにして潰えた、永遠のプロトタイプ。実験作。
でもそれは、全ての創作者が望んでやまない神への道「創作補完計画」の、瞠目すべき所産だったのではないか?

未完は、瑕瑾なのか?未完ではダメなのか?狂気の天才詩人ロートレアモンについての、犀利な批評家グールモンの詞を掲げたい。「馬鹿が狂えば、狂気にも馬鹿が遺る。しかし、天才が狂えば、狂気のなかにも天才の刻印が遺る」。ヱヴァには、その面影がある。

作品の蠱惑って、そういうものだ。ヱヴァには、当時からそれだけの牽引力があった。予感があって、じっさい生き遺った作品なら、それは結果論じゃない。

「ヱヴァ精神世界編」という当初のプランは、旧劇で完結した。カタルシスがあったかどうかは問わない。とにかく畢らせた。畢らせるしかなかったから畢らせた。そんな印象。そう、「009」の神々との戦い編が、40年前に完結するべきだったのに、未だに引きずっている未練とは対蹠的なように。(註。私は石森ファンです)

「人類補完計画」を突き詰めるなら、ショーペンハウエルなどの意思論哲学系に行くしかなかったが、アニメとして、エンターテインメントとして不毛だと判断したから、舵を切ったのだろう。

それでいいと思う。だから、新劇ヱヴァがいま存在し、新たな形態が拓かれた。

Qは愉しみだ。しかも怖い。

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