サイコパス第8話感想
#8「あとは、沈黙。」
犯罪芸術にこそ、オリジナリティが必要。
王陵璃華子の犯罪には、独創性が欠けていた。
それも仕方がありません。愛する父親と同化したい。そう渇望した結果なのだから。
憧れと模倣から出発し、劣化コピーで了るしかないのが、模倣者の宿命。
悪を体現するにも、才能が必要なんですね…。
彼女のサイコパス係数を、470超えにまで昂めたものは、何だったのか?
学園側の、徹底した「良妻賢母主義」に対する反抗心。
個性や情念を認めず、女性を規格化された工芸品のように扱う世間への異議申し立て。
狡噛慎也が「歪んだユーモアや攻撃的なメッセージ性の欠如」を批判していましたが、彼女にも、自己主張が欠けているわけではなかった。
しかし、あくまでも内向的・心情的なものであり、昇華して「世界を革命する」攻撃性には至らなかった。
ゆえに、彼女の悪魔芸術は、閉じられた唯美主義の範疇にとどまり、竟に発展することはなかった。
「不毛な耽美主義」。オスカー・ワイルドや、谷崎潤一郎の初期作品を謗るときに使われた詞です。
ワイルドと谷崎、両者に通底するのは、「ナルシシズム」と「女性崇拝」。
槙島には、そうした「女性的なるもの」が、つまらないもの、矮小なものに映じたのでしょう。
何よりも、璃華子の決定的な本質が「父への恋慕」だったことを見抜き、興醒めした様子が看て取れます。
隠顕する、男性原理至上主義。
掴みどころのない槙島ですが、彼の行動原理は、実は、「オイディプス・コンプレックス」に支配されているのかもしれません。
その槙島ですが、慎也の洞察力、論理力、何よりも「犯罪への親和力」に眼をつけました。
悪魔メフィストフェレスが、全知を渇望するファウスト博士の魂を狙ったのにも似ています。
あるいは、「カラマーゾフの兄弟」において、誘惑者スメルジャコフが、兄弟随一の秀才であるイワンを狙ったように。
執行官は、潜在的サイコパスでもあります。
慎也の執行官としての才能は、一歩間違えば、犯罪者としても卓越している証左ですからね。
槙島と狡噛。過激な危険因子同士が結びついたとき、一体何が起こるのか…。
想像すると、肌に粟を生じさせます。
二人を止められるのは、もしかすると、シビュラシステムに愛された朱ちゃん?
引用について。
「サイコパス」視聴の愉しみの一つは、豊饒な文学的引用です。
泉宮司に璃華子を狩らせつつ、弔辞のように槙島が呟いていた詩篇めいたものは、やはり「タイタス・アンドロニカス」でした。
はじめ「ソネット」か何かの引用かと聴いていたのですが「ゴートの女王タモラ」で、漸く判りました。
鋼鉄の罠で両脚をもがれた璃華子が、亡き父、王陵牢一の遺影を待ち受けにした携帯を、必死で操作しようとする。
父恋哀歌めいて、この場面は、とっても哀切でしたね。
その両腕を、無惨に切り落す。もう彼女は、表現すらできない。
「二つの切り株で何をなせるのか」は、「タイタス」のラヴィニアが、強姦犯人について、紙に記すこともできないように両腕を切り落とされた残虐を、詩的に表現したものです。
既に、喋れないよう舌を切り落とされた挙句の狼藉です。
ラヴィニアは、唯一自由になる口に筆を咥え、犯人の名を紙に記して告発したのですが、璃華子は顔面を吹っ飛ばされ、絶命。
「あとは、沈黙」か…。
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