#24「愛してる」
「冠ちゃん、これがピングドラムだよ?」
それは運命の果実。
唯一無二の、愛の言葉。
「運命の果実を一緒に食べよう!」
そして、運命の乗り換えが行われた…。
「愛も罰も分け合おう」
冠葉が選択したのは、分け合うことによる「一緒に生きよう」でした。
しかしそれは、状況によっては「一緒に死のう」と表裏一体。
それでも、彼は選んだ。乾坤一擲に賭けた。
「一緒に生きよう」と。
この考えの対極に位置するのが、「がきデカ」で知られる山上たつひこ初期の問題作「光る風」の思想です。
鬼才、山上が提示した、尖鋭かつ鮮烈なパラドックスが、今でも脳裡に灼きついています。
核の放射能で荒廃した近未来の日本。人々は、僅かな食糧に縋りつき、生きようと足掻く。
一人の男が、おにぎりを隠し持っていた。主人公をはじめとする仲間たちが、皆で分けるべきだと迫るが、男は峻拒する。そして叫ぶ。
「このおにぎりを全員で分けたら、たった一粒ずつだ。誰も満腹になれない。だが、俺が食べたら、少なくとも俺は満腹になる!ちがうか?」
最大多数の最大幸福は、原資が豊かなときにのみ適用できる。
それでは、原資が僅かなときは、どうするのか?全員で平等に飢えて死ぬのか?
これが「光る風」の提起した「生のパラドックス」でした。
ピンドラの最終回に当たって、私が怖れていたことが、二つありました。
一つは、ウテナの二番煎じになること。つまり、永遠に終わらないアドレッセンスを提示したまま、畢ること。
小林秀雄が、ボードレール「悪の華」に囚われていた体験を語っています。
「私は『悪の華』という完璧な球体に閉じ込められていた。天井から、作者の声が聴こえる。『船長、出発だ』。しかし、何も起こらない。やがて再び、作者の声が響く。『船長、出発だ』。それでも、球体が砕けることはなく、私はやはり虜囚だった」
いま一つは、「相対論の地獄」に堕ちること。
「君たちは呪いから出られることはない。幸せにはなれない」
サネトシは語り続けます。これからも、「そこ」に留まったまま、同じ呪いを語り続けるのでしょう。
われわれ視聴者からは判然としないのです。幾原監督が、高倉兄妹及び多蕗たちと、サネトシと、一体どちらの思想を採ろうというのか。
北欧の名匠ベルイマンの処女作「道化師の夜」を、ある批評家が酷評して曰く。
「われわれは、ベルイマン氏の反吐を観させられる理由などない」
そう、幾原監督の「反吐」となってしまうことが、いちばん怖かった。不確定性の地獄だけを見せられることが。
混沌とした世界観を描き切る最善の方法は、表現を明晰にすること。
尠くとも、作者の脳内では整理がされていること。
その意味で、ピンドラの表現手法が十全だったかというと、些少の疑問が残ります。
後付けのように語られた「箱の中」の寓話は、あるいは不要だったかもしれません。子どもブロイラーの挿話で充分だったと思います。
そして、桃果亡きあと、「生かされてしまった」多蕗とゆりの挿話も、「屋上屋を架す」憾みがありました。
混沌の果てに、幾原監督が、冠葉、すなわち未来の子供たちに託した結論は。
「そうだとしても、運命の果実を頒ち合う!」
…ですよね、カントク?(ノ∀`)
陽毬を救った冠葉は、光の塵となって、消えていきました。
「手に入れたよ、本当の光を…」
そして、晶馬は苹果に訣別を告げます。
「これは僕たちの罰だから(君が来る必要はない)。ありがとう、愛してる」
物語は終章へ。
高倉家で独居している陽毬を訪れる苹果。
カレーパーティです。秘訣は、ルウに苹果をすり潰すことなんですねww
「忘れないよ、絶対に」
しかし、そう断言した陽毬の記憶は消え去っていました。
ぬいぐるみに託された一通の手紙。
『大好きだよ。お兄ちゃんより』
「お兄ちゃん?誰?」
Σ(゚Д゚;
高倉兄弟は陽毬を救い、そして忘れられた。
しかし、「忘れつくしたことさえ忘れてしまったとき」少女の瞳から、ひとすじの涙が流れます。喩えようもなく、美しい涙が。
そこへ、照応するかのように、幼い姿の高倉兄弟が通りかかり、通り過ぎていきます。
「僕たち、どこへいく?」
「どこへ行きたい?」
「そうだな、じゃあ…」
宮澤賢治「銀河鉄道の夜」を既読なら分る場面ですね。ジョバンニとカンパネルラです。
死と再生。輪廻転生。永遠の旅人。
そう、ピンドラ全編を通底するのは、やはり「銀河鉄道の夜」のモティーフでした。
「ここから去る」
桃果がサネトシのもとを去っていく。「列車はもう行っちゃったよ?」と言い遺して。
幼い兄弟が歩き去っていく。新しい生へ向けて。
それでも、彼らはいつか還ってくる。ここへ。家へ。
だって、そこは「はじまりの場所」なのだから。
そして再び、永遠の出発を繰り返す。それが人間の生存の本質。
「忘れないよ、絶対に」
「愛してる」
監督が発した愛の言葉は、視聴者に届いたのか?
われわれは孤独ではないのか?愛されているのか?
「おしまいじゃないよ」
「あたしは、運命ってことばが好き。一人なんかじゃない」
さようなら。そして、有難う。
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