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2011年8月31日 (水)

キャサリン・パターソン「テラビシアにかける橋」

誰しも、偏愛するジャンルがあると思います。
私にとって、それは、少年少女の物語。

このトシでアニメが大好きという嗜好と、無縁でない気がします。
ただ、いわゆる児童文学がお好きな人とも、ちょっと違うかもしれません。
私が少年少女文学の最高峰と目しているのは。
海外では、コクトー「恐るべき子供たち」。
国内では、樋口一葉「たけくらべ」。
そういう傾向的な好みがあるので。

単純な成長物語が好きなわけではない。
単純なイノセントが好きなわけでもない。
そこに、何かもう一つがほしい。
たとえば、ちょっとした「危うさ」のようなもの。
子どもから大人へ成長することへの危うさ。
子どもであり続けようとすることの危うさ。

映画だと、大好きな作品が多すぎて、もうキリがありません。
ロベール・ブレッソン監督「少女ムシェット」。
ヴィクトル・エリセ監督「ミツバチのささやき」。
ジャン・ヴィゴ監督「新学期・操行ゼロ」。
スタンリー・クレイマー監督「動物と子供たちの詩」。
ロイ・ヒル監督「マリアンの友達」。
イヴ・ロベール監督「わんぱく戦争」。
でもやはり、トリュフォー監督「大人は判ってくれない」が白眉かな。初見のあの印象は強烈でした。
いずれも、揺るぎない名作です。しかも、危うさを内包しつつ美事に作品として成立している。そこが好き。

テラビシアにかける橋」(1977)も、そうした危うさの均衡のうえに立つ傑作でした。
ネタバレですのでご注意を。それはいつもかww

田舎の少年ジェシーの新しいお隣さんになった、都会から来た自由な少女レスリー。
短髪にジーンズ、男の子みたいで、駆けっこがとっても速い。そして、自分だけの世界をしっかりと持っている。
初めは違和感を抱いたジェシーですが、やがて、彼女の闊達さにどんどん魅かれていきます。

レスリーの両親は、二人とも作家。インテリです。物理的な栄達を追い求めるばかりの都会生活に疑問を抱き、「娘のために」田舎で農場を経営しようと、引っ越してきた。
村上春樹が、こういう「下放」志向の知的人間について、かなり皮肉っぽいエッセイを書いていました。まったく同意です。
私も、子どもの頃は原っぱで駆け回っていたクチですので、「自然とのふれあいの大事さ」なんかに驚きゃしません。
だから、感動したのは、そこではありません。

ボーイミーツガールの物語。
森の中のツリーハウス。二人だけの王国、テラビシア。そこでは、二人は王様と女王様。
いかにも、子どもらしい夢にあふれた物語です。このまま終わっていれば、万人受けするハートウォームな児童文学に仕上がっていたことでしょう。
しかし、この「児童文学」には、厳しい結末が用意されていました。
大雨で川が増水。テラビシアに渡るための橋から、レスリーが落下して死んだ。

発表当時、読者の子どもたちから、抗議の手紙が殺到したそうです。
「どうしてレスリーを殺してしまったの?」
作者は、こう答えるしかありませんでした。
「これは、私の息子自身が経験した実話に基づいています。私が、この物語を書こうとした動機でもあります。だから、結末は変えられません
息子とは、次男デビッド。
彼のガールフレンドは、雷に打たれて死んだのです。

レスリーの死を、心が受け入れられないジェシー。
混乱のさなかで、彼の思考は奇妙に捻じれ、空転します。
「これで、駆けっこは、僕がまたいちばん早い」
「レスリーなんて嫌いだ。出会わなければよかった」
しかし、それまでは分からず屋だと思っていた担任の先生とも、レスリーの死をとおして理解し合うことができた。
少女の死をきっかけに、徐々に世界と和解し、世界を受け入れていく姿が、結末の数十ページで、実に感動的に描かれていました。
児童文学で死を扱うのは難しいのですが、子ども心への深い洞察とシンパシーに支えられた、これは真正の傑作だと思います。

テラビシアは、はるかのちの2008年に映画化され、公開されました。
脚本を書いたのは、成長したデビッド自身でした。

時の流れを、しみじみと感じます。

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