花咲くいろは、あるいは浮遊するレアリテ
存在の耐えられない軽さ。
映画化もされた、ミラン・クンデラの恋愛小説の傑作です。当時、洒脱なタイトルが話題になりました。
存在の耐えられないお笑い。緒花ちゃんのことですwww
今回、他ブログさまを回っていて面白く感じたのは、緒花の今回の行動に対する、評価の割れ方です。
その意見を、大別すると。
「緒花ちゃんはイイ子」という容認派と、「緒花ちゃんは特攻野郎」という否定派。
それぞれ論拠があるのですが、容認派は、考えるよりまず動くという行動力を称揚し、結果として周囲に良い影響を与えたことを、高く評価しているようでした。
一方、否定派は、考えずに動く緒花を「軽率」だと批判。強すぎる思い込みや、援助を強要するかのような言動を非としていました。さらに、雇用関係もなく仕事をさせることから生じる労災上のリスクにまで言及した方もいました。総じて、ブロガーさん自身の社会人経験に由来する辛口評価が多かったように思います。
では私は?結論の前に、ちょっと思考実験してみたいと思います。
日渡さん(洋輔父)だから結果的に頼ってもらえたのですが、でも他の人だったら?
例えば、女将のスイさんだったら?恐らく、けんもほろろ、取りつくしまもないでしょうね。
「お客様に配膳を手伝ってもらうなど、そんなオカルトありえません絶対あってはならないことです!渇しても盗泉の水を飲まず。お気持ちだけ頂戴しておきます」
そんなスイさんを、ガンコだ、犬死にだと非難できるでしょうか?少なくとも、「花いろ」の文脈からは、そんな結論は出てこないでしょう。
洋輔くんの旅館が、窮地に陥っている。それは確かだ。
ただ、そうなった原因を斟酌したとき、「手を差し延べる」という選択肢は正当なのか?
いくら運搬機械を導入したからといって、配膳をすべてバイトさんに頼ったというのは、経営戦略の誤りです。
どれほど省力化しても、合理化しても、責任の所在は残しておかなければならない。
それを担うのが洋輔くんだったわけですが、肝心の彼も、バイトさんたちの統括に失敗。
洋輔くんは、番頭見習い。もう労働している事から推察すると、結名ちゃんより年長なのでしょう。
しかも、旅館の跡取りということは、れっきとした経営者候補です。欧米なら、若いころから「帝王学」を叩き込まれている立場です。
経営者の息子の失態は、経営者である日渡さんとの、連帯責任です。実社会なら、手を差し延べてくれるお人よしは、いないでしょうね。
「現実」に即して考えると、そんな「冷たい」結論にしか導き得ません。それほどまでに、管理者の責任は重いのです。
以上が、「リアリティ」の世界です。
さて、ここからが実は、私にとっての「本論」です。
ここで注意を喚起したいのは、「花いろ」は、「作品」であること。
緒花の行動は、あくまでもフィクションとして提示されているという事実です。
あたりまえの前提なのですが、結構ごっちゃにして論じている例が見受けられるので、敢えて注記しました。
「あんな行動パターンなんて見たことない。自分の周囲にはいない。だから、リアリティがない」。
この「実感型」というか「印象主義(よろしくない意味で)」的な考え方に固執すると、自分の経験の範囲内でしか作品評価ができないので、はなはだ狭量なものになる危険性を孕んでいます。
作品において、評価の対象とすべきは、作者の「手つき」。あるいは、アニメとしての「文法」。
視聴者に伝えたいことを、どのように描き、どのように提示してみせるか。それは、「技巧」のようなプラグマティックなものとは違う。
三島由紀夫は、「手つき」や「文法」を総合し、「文体」と端的に表現しました。技巧をあらわす「文章」ではなく、スタイルや思想さえも包含する、上位概念としての「文体」です。これを私は「レアリテ」と呼称したいと思います。
描かれている事実そのものの正確さばかりをリゴリズム(厳格主義)によって裁断するのでなく、作品全体を通底する「レアリテ(文体)」を味わう。作品を、作品自体として玩味する。それが、あるべき鑑賞態度。
「花いろ」に戻ります。
脚本をはじめ、スタッフは、ドラマを愉しんでもらうために、緒花をわざと誇張して描いているはずです。その「揺らぎ」は、あらかじめ視座に入れておかないといけません。
ですから、「作品に描かれた現実」を「レアリテ」と表記し、いわゆるリアリティと峻別しています。無用の誤解を生じないように。
作品の「レアリテ」に、心を凝らす。
宮本武蔵のひそみに倣って、作品がどう動くのか、どう変化するのか、最後まで見きわめる。
それによって、作品の「レアリテ」が、価値そのものが、ありありと透視できるようになるのだと思います。
…けっこうリキ入っちゃったので、最後は、軽い余談で〆にしますね。
結名ちゃんは、やればデキる子。「神メモ」の翔子さんと似た状況に置かれているのに、よく援交とか自傷に奔らずに耐えています。
「やればできるの、やらないだけ!」「ちょー傷つくんですけど!」
この程度で済んでれば、カワイイものじゃないですか。
甘えん坊だけど、自分の脚で立つことのできる結名ちゃんには、少女探偵アリスは必要ないですね。君に幸あれ。
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