もしドラ第9話感想
#9「みなみは大切なものをなくした」
みなみちゃんすべて壊れる!
Σ(゚Д゚;
まるで、FFⅦの、クラウドが挑んだ闘技場のようです。マテリアすべてこわれる!みたいな。
それほど壮絶かつ唐突な、みなみちゃんの、野球への叛逆でした。
でも、彼女が壊れるのも、よく分ります。
私にも、似た体験があるからです。
野球と彼女とが、実はフクザツな関係だったように。
経済学と私も、そうでした。
自分が、文系に特化した人間であることは、分っていました。
でも、理数的なものに憧れて、文学部を回避し、あえて志望した経済学部。
けれど、経済学の方で、受け入れてくれなかった。数学的思考を鍛錬していない人間にとって、ことに理論経済学は、巨大な壁でした。
あたしを受け入れてくれない経済なんてきらい、キライ、だいっキライ!!
かくして、私は、経済学から遠ざかった…。
ちょっとだけ、毒を吐きます。
学部の友人で、論理力解析力は私よりも劣るくせに、でも、数字に関しては、はるかに優秀なヤツがいました。
そんな友人を、「数字馬鹿」と軽侮しつつ、心のどこかで、思いっきり羨望していた。
つまりは、みなみと同じ「ルサンチマン」だったのです。
ただ、ルサンチマンを抱えた私にも、いま言えること。
経済学とは、「監視者」だと思うのです。
たえず、情動に流れようとする文系人間たちを、監視する存在。
文系は、直観に優れている反面、すぐ逆上します。
「成果が出せないなら、過程なんてまるっきり意味がないって言うのか!」
そんな事は、誰も言っていないのだよ久城。成果も、過程もあるんだよ?
極端に走りがちな文系思考を抑制する冷徹な論理。論理それ自体。
それが経済学。
今なら、それが分ります。
当時は冷徹無比、無味乾燥とみえた経済学は、ちょっとメガネをずり上げるようにして、いつだってもどかしいほどに距離を置いて、けれど、いつでもあたたかく見守ってくれた「委員長」だったのだと。
無意識に身についた経済学的思考が、意識するとしないとにかかわらず、有形無形に私をたすけてくれていたのだと。
それが理解できただけでも嬉しい。
『もしドラ』は、みなみちゃんと、そして私をも救ってくれたのかもしれません。
さて。
今回の「私とドラッカー」のゲストは、冨野御大!Σ(゚Д゚;
ある意味、いちばんVIPなゲストです。
ドラッカーと冨野監督とはな。へへ、参ったぜ力石www
「全体主義に向かわないためのドラッカー」
確かに、御大の好むテーゼです。経済を、あえて、政治的に誤読してみせた、ともいえます。(誤読は、寺山修司が得意とした手法です)
冨野監督は、たぶん「政治的人間」なんですね。「経済的人間」ではなく。
でも、それは卓見。正鵠を射た確信。
まさに、直観により、御大は正解に到達したのです。
ある一点で磨き抜いた才能は、全てを透視するという真理をまのあたりにして、畏怖すら覚えました。
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