まどかの魔女名が、Kriemhild Gretchen(クリームヒルト グレートヒェン)であることが判明しました!
クリームヒルト。叙事詩『ニーベルンゲンの歌』に登場する美女。
前編では、英雄王ジークフリートの貞淑な王妃だったが、後編に至って、夫をだまし討ちした梟雄ハーゲンと、兄王グンターに復讐すべく、罠にかけて惨殺し、自らも滅びた。
グレートヒェン。詩劇『ファウスト』に登場する美少女。
純真無知と、ファウストへの愛ゆえに、母を誤って殺し、兄を死に追いやり、発狂してわが赤児を殺害するという罪を犯し、牢獄で死亡。しかし、その無垢を言祝いだ神の恩寵により、天に召された。結末で、死にゆくファウストを救済する天使として再来した。
まどかだけが、なぜ破格の魔法力をもっているのか?なぜ、最高の魔法少女たり得るのか?ずっと考えていました。
彼女の稟質について、以前、おもに即物的側面(血すじとか魔法力の堆積とか)から考察したのですが。
やはり、魔法少女としての「願い」の質や強さが、大きな要素になっているのは、間違いないところでしょう。
ほむらの例からも、その推測は裏書されます。
どうして、Kriemhild Gretchenなのか?どういう意味があるのか?
タクトのフェニキア文字のように、何かアナグラムが匿されているのでは、と考察されているサイトも見かけましたが、特に結論には至っていないようです。
私は、まさに「名前自体」に意味が匿されていると直観しました。
復讐と呪いに憑かれた美しき烈女と、自己犠牲によって恋人に恩寵をもたらす天使。
この魔女名自体が、矛盾を内包しています。そこに、「鍵」がひそんでいるのではないかと推論したのです。
魔法少女の「願い」と、魔女の「呪い」。
このふたつは、対蹠的なものであり、相互矛盾であり、同時に、同じ「エナジー(ちから)」の表裏をなしています。
拮抗し合うものが、やがて止揚(アウフヘーベン)されて、さらに高度な段階に統合される可能性を示唆している…。
まさに、ドイツ哲学者の孤峰、ヘーゲルが提唱した弁証法です。
Kriemhild Gretchenは、「止揚」を象徴的にあらわしているのではないでしょうか?
「最高の魔法少女」と「最悪の魔女」を担保する、まどかの「願い」と「呪い」は、想像を絶するほど「巨大」なはず。
その正体を大胆予想すると。
「この世界をいったん滅ぼし、そして再生する」
より正確にいえば。
ワルプルギスの夜を斃す
→しかし、この戦いにより、世界は崩壊状態
→最高の魔法少女として、世界を再生する
脚本・虚淵の、過去の仕事(沙耶の唄ほか)から、導いてみました。
まさに矛盾です。だからこそ、正と邪を、同時に担保し得るのです。
しかし、エントロピーの不可逆性により、魔法少女まどかの再生の願いは、魔女の滅びの呪詛に変貌してしまう。
「魔女になんか、なりたくない…」そう呟いて、ほむらに殺してもらったまどかです。望んではいないはず。
どうすればいいのか?
思い出すのは、『ハンター×ハンター』の、念能力への「制約」。
「制約の強さが、念能力の強さを決定する」というルールです。
クラピカは、「旅団以外に念能力を使ったら、即座に死ぬ」という制約を自らに課しました。
だとすれば…。
「この世界をいったん滅ぼし、そして再生する。もし魔女化したときには、自分自身が滅ぶ」
この制約を附加するしか、世界を救う方途は残されていません。
でも、これでは救いがない。
まどかの幸福は、どこにあるのでしょう?
これについて、多く語ることは至難です。
虚淵×新房であることを考え合わせると、悲惨なまま終る可能性も高いからです。
それでも、まどかの物語には、一掬の救いがあってほしい…。
サン=テグジュペリ『夜間飛行』に、アンドレ・ジイドが寄せた序文を引用して畢(おわ)ります。
「私は、次のような真理を、著者サン=テグジュペリが闡明してくれたことをありがたく思う。すなわち、人間の幸福は、自由のうちにはない。義務の容認のうちにある、という真理だ」
『法王庁の抜け穴』等の作品で、個人主義を追究し続けた果てに、ジイドが辿りついた思想です。軽々に論じるわけにはいかないので、引用に留めます。
ただ、私は信じたいのです。
この世を絶する力を得てしまったまどかにただひとつ残されているのは、「義務を果たす幸福」なんだと。
人の幸福を規定するのは、「何をなすべきか」なのだと。
それゆえに、まどかは幸せになれるのだ、と。
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