学園黙示録第10話感想
#10「The DEAD'S house rules」
孝が繰り返し呟く「昨日までの世界は、もう終った」。
ゾンビが溢れかえっているにせよ、世界そのものが消滅したわけではないのですが。
多分、こう言いたいんでしょうね。
「大人たちに庇護されるのが当然だった、子どもとしての俺たちの世界は、もう終った」
生き延びることを最大命題にして、結束してきた孝たち。
高城家に避難して、しばし安息の時を送れるのかと思ったら。
あっという間に兆し始めた、不協和音。
きっかけは、沙耶の、両親に対する不信感ですが、孝も毒島センパイも、潜在的に感じていたことだったのです。
子どもの論理VS大人の論理という対立構造は、ハガレンでも顕著でしたが、ハガレン世界においては、両者を上手く調和させていたと思います。
しかし、学園黙示録では、高城パパに代表される大人世界は、孝たちとは相容れないものとして描かれています。
権威的、強権的、そして組織にとっての異分子には、徹底して排他的…。
平野コータから、唯一のレーゾン・デートルだった銃器を暴力で奪い取ろうとする場面に、象徴されています。
彼ら大人から見れば、コータは、武器をオモチャにしている危ない子どもにしか映らないのでしょう。
寛容と調和。非寛容と対立。
ハガレンと黙示録、両者の相違は、それぞれの作者の人生観が反映しているのかもしれません。
戦艦バウンティのエピソードには、不意を衝かれました。
原作はノードホフ&ホールの、1932年の小説です。たびたび映画化されていますが、私は、1962年版で観ました。
その『戦艦バウンティ』では、艦内に結構複雑な人間関係があったと思いますが、叛乱の背景は、孝が紹介したとおりですね。
視聴者がすっかり忘れていた紫藤が、性懲りもなく再登場。
バス内は、すっかりオージー状態。恐怖が強烈なクスリとして作用し、女生徒たちは理性がぶっ飛んじゃってるようですね。
紫藤は、悪い大人代表として孝たちと対立し、叩きのめされるのでしょう。
そして、新たな旅立ち。そんな感じでまとめるのかな。
大きな命題を孕んだ問題作になり得た学園黙示録が、紫藤ラスボスでは物足りないのですが、どんな着地を見せてくれるのか、注目したいと思います。
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