閃光のナイトレイド第9話感想
#9「新しい京」
棗は、吉蔵(きちぞう)だったんですねww
冗談はさておき。
高千穂勲の狙いは何か?
物語も終盤に入り、ナイトレイド最大の謎と関心は、この一点に収斂されてきました。
奉天のティールームで、雪菜に見せた未来の映像。
10数年後に、ヒロシマ、そしてナガサキを襲った、あの悲惨な原爆の予知図で、間違いないでしょう。
高千穂は、泥沼の太平洋戦争を未然に防ごうとしているのか?歴史を、穏健な方向に修正しようとしているのか?
答えは、YESであり、同時にNOである。そう思います。
理由は、こうです。
「戦争はいかんでなあ」という、単純なメッセージだけではない、と私は考えています。
日本が辿った道が誤りだったとしても、欧米列強と極東の植民地との歪んだ関係は、正すことが可能だったのではないか?
高千穂の理想は、やはり、弱者たる東の国々の統一と共存にあるのではないか?
とはいえ、欧米に比較して、まだまだ軍事も経済も脆弱な東洋。
だからこその、核の抑止力ではないでしょうか。
現実にはまだ存在しない大量破壊兵器の幻像がもたらすイマージュ力を利用して、列強を「均衡」に持ち込もうと目論んでいるのでは?
そんな自由な想像をめぐらせながら、歴史のIFを楽しんでいます。
(フィリップ・ディックの名作SF『高い城の男』は、ナチスが勝利した世界を描きました。
ナイトレイドは、そこまでIFを突き詰めることはしないでしょうけれど、近い地点まで迫ってくれるのではないかと、ひそかに期待しています。)
あらためて問います。
高千穂勲の狙いは何か?
雪菜が、上海事変が7000人の死者を出した事を憂えたとき、いつも忠実な棗が、静かに言い返しました。
「日照りが続くだけで、人が死ぬ場所もあります」
貧しさから抜け出せるなら、銃を取ることも厭わない。そう断言する棗。
断片的な過去映像から窺えるのは、彼が貧農の出身らしい、ということです。
1932年当時の日本といえば、中央が国威発揚を掲げる一方で、地方の農村や都市のスラムでは、民衆はまだまだ貧困に喘いでいました。
繁栄と貧困との、典型的な二重構造。現在の北朝鮮や中国の一部と、かぶる部分もあったかも。
高千穂勲は、無謀なまでのテロ行為により、目的を果たそうとしています。
棗のような人々が、彼を支える思想的背景として、機能していたのかもしれません。
物言わぬ民衆の無言の支持を、彼はひしひしと背中に感じていたのではないでしょうか?
思い出すのは、宮澤賢治の、あまりにも有名な『雨ニモマケズ』。
1933年に没した彼の、遺稿として残されたこの詩には、次のようなくだりがあります。
「日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き」
日照りのために餓死する人々が、現実にいた。
賢治の詩は、当時の惨酷なレアリテを、ありのままに写し取っていたのです。
『現実』を知っている棗だからこそ、敬愛する雪菜に、あえて諫言したのかもしれません。
…ビールで微醺を帯びているくせに、結構マジメに考察している自分に驚いていますww
最後に、いつものエロい小ネタで帳尻を合わせますねって何の帳尻なんでしょうかwwwww
「あなたが覚えている幼い妹ではないのですよ?」
「おまえの××に傷をつけてしまうことになる。無理じいはしない」
Σ('∀`;)
お兄さまったら鬼・畜♪
次回「東は東」
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コメント
えー。えーえー。最後の照れ隠しが無ければ、これ以上無いくらい素晴らしい記事でしたのにw
真面目な記事が大好きな自分は、信じられないくらい広くて深い引き出しを持っていらっしゃるSIGERUさんの、こういう記事がもっともっと読みたいです。これからも楽しみに訪問させて頂きますので、ひとつよろしくお願いします^^
投稿: おパゲーヌス | 2010年6月 2日 (水) 00時25分
おパゲーヌスさん、ようこそ!
過褒ともいえるコメント、ありがとうございます。嬉しいです。
私みたいに引用を重視する手法は、アニメブログでは珍しいのかもしれませんね。
とはいえ、文芸批評にしろ美術批評にしろ、引用は、クリティックのための有力な武器です。
これを利用しないテはないですよね。
ペダントリーに淫するつもりはありません。ただ、さまざまなジャンルとの比較対照を試みることで、アニメの多様性がもっと拡がる一助になればいいな、と願っています。
また、そちらにも立ち寄らせていただきますね。
投稿: SIGERU | 2010年6月 2日 (水) 23時11分