鋼の錬金術師第63話感想
#63「扉の向こう側」
エド無双!
「なぜだ!?なぜ神を手に入れた私が、たかが人間の錬金術師に、素手で…」
賢者の石という、人間から盗み取った力の源を失ったお父様は、惨めに殴り倒されました。
エドが空けた風穴から、賢者の石(クセルクセスの人々)のすべてを失ったお父様。
自らを喰ってしまったあげく、元いた場所、真理の扉の内部へと、消えていったのです。
圧倒的な印象を残した「凄絶な反撃」も、ついに終焉。
あれほど昂奮させられた戦闘回の後を、どうやってまとめるのか?余計な心配をしたのですが。
そこはハガレン。台詞の力と、静かで力強い人間ドラマは、健在でした。
アルの体を取り戻そうと焦慮するエドに。
ホーエンハイムは、俺の体を対価にしろ、と提案します。
もう、充分に生きた。思い残すことはない、とも。
そんなこと、できるわけないだろう!と絶叫するエド。
「父親だからだよ。幸せになってほしいんだ。
最後くらい、父親らしいことをさせてくれ」
(/_<。)
なんて気持ちがいいんだろう。
こんなに王道な、王道すぎるほどの台詞なのに。
心に、すなおに沁みてくる…。
あの熾烈な戦いの後をしっかり受け止めるには、これほどしっかりした、正統な台詞が必要だったんですね。
「考えろ、考えろ!最年少の国家錬金術師だろ?真理を見たんだろ?」
エドの表情が、不意に明るくなりました。
彼が、アルを取り戻すための対価としたのは、自分自身の『真理の扉』。
正直、まったく予想外の選択でした。一瞬、不意をつかれたのですが。
よく考えたら、完全知への可能性を、不断の努力で積み上げてきた錬金術の力を、まるごと引き換えにしたのです。
確かに「ここにあるじゃないかよ!でっかい対価が!」ですね。納得です。
真理くん(仮)とお父様との対話が、実に深遠でした。
世界、宇宙、神、善と呼ばれた存在である真理くんに痛烈に批判され、必死に抗弁するお父様。
「どうすればよかったんだよーーー!!???」
涙を流しながら真理の扉の向こうに消えるホムンクルスが、何だか駄々っ子みたいに見えて、哀れで仕方ありませんでした。
荒川先生の透徹した『神の眼』から見れば、人の欲望を切り離して「完全なる知」を目指したお父様でさえも、ただの子どもにしか過ぎなかったんでしょうね。
人が持っている力が、もし、単なる物理的なエナジーにすぎないならば。
人の個性なんか蹂躙してでも、そのエッセンスを集約すれば、ずっと効率的だ。
それが、賢者の石の、ひいては錬金術の、根本にある思想。
普遍的意志こそが本質だと説く一派と、通底するものを感じます。
しかし、ハガレンという作品が一貫してこだわり続けてきたのは、あくまでも個人。
一人一人の強い意志と、意志から生み出される結束の強さと。それこそが、本物の人間賛歌。
私が言うのもアレですが、某天使叩きと比較して、物語の厚みの差を痛感しました。
今回も某掲示板に参加したので、ちょっと引用してみますね。
小ネタです。視聴直後の、率直な印象ということで。
さよならグリード→グリードがけっこうカワイイ。感動的だったし。
さよならお父様→小人が妙にカワイイ!
てゆーか、消えるときの台詞が「ボクは、どうすりゃよかったんだよー!」かよ。
「おれが真理してやんよ!」ぐらい言ってみろww
さよならホーエンハイム→「燃えたよ、燃えつきた、まっ白にな…」
掲示板情報によると、最終回のサブタイに、軽微な変更があったようです。
原作『旅路の果て』
アニメ『旅路の涯』
フランス映画の名作に『旅路の果て』(デュヴィヴィエ監督)というのがあるので、ちょっとした配慮でしょうか。
あとはもう、何も付け加えることはありません。
感動の最終話を、粛然と待ちたいと思います。
次回(最終話)「旅路の涯」
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。

コメント