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2010年6月20日 (日)

Angel Beats!哲学的考察SS(ゆりっぺの意志と表象編)

最終回直前特別企画【ゆりっぺの意志と表象編】

ゆりっぺは、12話の演説の中で、生まれ変わりを拒否しました。
ほかの誰のものでもない、自分の人生を主張したのです。いわば、人生賛歌、個性賛歌です。

ゆりっぺ支持を表明したせいかは分りませんが、記事にアクセスが集中しました。読んでいただいた事は、とても嬉しく思っています。

最初に宣言しておきます。ゆりっぺ発言についての私の考えは、実は二律背反に近いものです。
①ゆりっぺの心の叫びに、心情的には揺さぶられた。人にはそれぞれ意味と価値があり、それは犯すべからざるものだ。
②しかし、自己の無条件な肯定は、唯我独尊や、頑なな我意にも繋がりかねない。その危うさも、経験上、知悉している。

①について
トシを重ね、社会的経験ってヤツも積んできたのですが、結局は「自分から離れられない自分」を感じています。それは、10代や20代の頃と変わりません。
「個性的でありたい。徹底して、自分自身でありたい」という個性への憧れから、ついに逃れられなかったのです。
ゆりっぺの生硬ともいえる演説にうなずき、共感を覚える自分が、確かにいます。
②について
しかし一方で、私の内の『経験』が、絶えず囁き続けます。
ただの厨二病ではないのか?
おまえのいう自分自身とは、それほどかけがえのないものなのか?唯一無二な存在なのか?と。

それでも、矛盾を抱え込んだまま、必死で生きていくしかないのですけどね。
若い頃の信念は、やはり捨てることはできません。
ゆりっぺが、守るべきもののために、戦い続けることを決意したように。

さて、「人類の普遍的意志こそが、人の本質である」と主張する哲学の流れが、存在します。
分りやすい喩えでいえば、「共生」「集合意識」と呼ばれるものですね。(エヴァで語られていたアレです)
普遍的(全体的)意志説の代表者が、19世紀ドイツの哲学者、ショーペンハウエルです。
『自殺について』に収録されている、「余興としての小対話篇」。
ショーペンハウエル独特の鋭い明晰さと定言的表現で、個性はただの表象であるとし、人間存在の本質は普遍的意志にある、と結論づけています。
今回の、人生や個性の問題について、とても刺激的な考察といえます。
初めは、要約して引用するつもりだったのですが、ふと遊び心が兆したため、SS仕立てにしてみました。
原典の方は、哲学者とその友人との対話形式で進みます。
ここでは、哲学者役に石田青年(笑)、友人役にゆりっぺを起用してみました。
人を選ぶタイプの、小難しいSSです。しかも長文。
AB大好き、考察も大好き!という人に愉しんでもらえたら幸いです。

ゆりっぺ「要するにね、あたしが死んだら、あたしはどうなるの?サクッと説明頼むわよ!」
石田青年全てにして無です」
ゆりっぺ「あらあら困った!解答は、いきなり矛盾じゃないの。あたしをごまかそうたってダメよ」
石田青年「超越的な問題に、内在的認識のために創られた言葉で解答を与えようとすれば、矛盾に陥らざるを得ないのですよ」
ゆりっぺ「な、何よ。超越的とか内在的とか、カント哲学の術語で攻めてきたって、怖くないんだから!
ってか、超越とか内在って、何なのよ?」
石田青年内在的認識というのは、その個体の、経験の範囲でしか思考できません。つまり、内在的認識においては、貴方は個体として死んだら、それで終りです。になるんです。
ところが、超越的認識においては、個体は本質の表象や現象に過ぎません。本質には、始まりも終わりもないので、貴方は不滅性を獲得します。すなわち、全てになる、というわけです。
ただ、貴方という個体は時間の制約を受けるが、本質としては永遠に不滅という点が、矛盾といえば矛盾かもしれませんね。
存続しないが、普遍的に受け継がれていく不滅性、といえば分ってもらえるでしょうか。
でもまあ、本質にとって、それは大した問題じゃありません」
ゆりっぺ「じょ、冗談じゃないわよ!あたしの個性が存続しないんだったら、あなたのいう不滅性なんかに、1円だって払うもんですか!」
石田青年「まあ、そうおっしゃらずに。まだ、取引の余地があるかもしれませんよ?
どうでしょうか、貴方の個性の存続を、僕が保証するとしましょう。
ただし、条件があります。死んでから、貴方の個性が目覚める前に、三ヶ月だけ完全に無意識な死の眠りを眠ることを承知してください」
ゆりっぺ「まあ、それくらいなら、いいわよ?」
石田青年「ところで、無意識の状態にいるなら、時間の経過を知るすべはありませんよね?そうなると、現実の世界で三ヶ月経とうが一万年経とうが、無意識の貴方にとっては、どちらでもいいことになる」
ゆりっぺ「そうかもしれないけど…。何だか、雲行きが怪しくなってきたわね」
石田青年「もしも、一万年経って、誰かが貴方を目覚めさせるのを忘れたとしましょう。
すると、貴方は短い人生の後に、一万年という長い長い非存在が続いたわけだから、むしろ、非存在そのものになじんでしまう。そうなれば、それほど不幸というわけでもないでしょう?
しかも、生という本質自体は、一万年のあいだにも、一瞬もとどまることなく同類たちを生き続けさせているのだから、それを知ったら、貴方もけっこう幸福になれるんじゃないですかね?」
ゆりっぺははあ!あんたは、そんなふうに、あたしから個性を騙し取ろうとしてるのね?冗談じゃないわよ、そんなインチキに引っかかるもんですか!
あたしは、あたしの人生を断固主張するわ!あたしの個性を、絶対に手離すもんですか!」
石田青年個性って、そんなに優秀で完全無比なものなんですかね?ほかの、もっと快適なものとさえ、交換したくないほどのものだと?」
ゆりっぺ「ああ、あたしの個性!それこそは、あたし自身なの!
あたしは、あたしは、生きたいのよ!人生を生きたいの!それこそが、大切な願望なのよ。
個性を失った不滅性なんて、あたしにはどうでもいいの!」
石田青年「なるほどねえ。でも、考えてごらんなさいよ。そんなふうに『生きたい』って叫んでるのは、貴方だけじゃないんですよ?
意識の影をちょっとでも持ち合わせていれば、そのものたち全てが、そう叫んでいるんです。貴方の専売特許じゃないんです。
だからむしろ、生きたいという意志は、個体から生まれてくるのではなく、万物に共通のものであり、存在する全てのものの本質を為しているんです
貴方は、個体として生きてるように錯覚するけど、実は、生きること自体が、人類の普遍的意志なんですよ。
人生やら個性やらを失うことを、貴方は何よりも怖れている。それはもう、恐怖症と言うべきものだ。
そんな不安を抱えながら生きていて、本当に幸福なんでしょうか。
こう考えてくると、個性というのは実は不完全なものであり、かえって制限になるものだということが分るでしょう?
でも、貴方の本質が『生きようとする普遍的意志』だと正しく認識しさえすれば、そんな子どもじみてこっけいな不安から、綺麗さっぱり脱却できるんですよ」
ゆりっぺ「…子どもじみてこっけいなのは、あんたと、あんたの哲学者連中の方よ!
あたしのようなしっかりした人間が、あんたのような馬鹿と話しこむのは、要するに暇つぶしのためなのよ。
おっといけない、もっと大事な用があったんだっけ。じゃあね!」

(意固地に肩を怒らせずんずん立ち去っていくゆりっぺの後姿をしばらく見送っていたが、ふっと憫笑します)

石田青年「やれやれ、逃げましたか。でも、彼女は、またここに来ますよ?必ず、じきに、ね

to be continued.

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