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2010年3月13日 (土)

京アニVSシャフト

らじお掲示板でお世話になっている、ピッコロさんの企画「京アニVSシャフト」に参加させていただきます♪

両社ともに、2000年代中盤からブレイクし、現在を代表する人気プロダクション。
もはや、ブランド化(付加価値化)しているといっても過言ではないでしょう。

★京都アニメーション

洗練された作画力自体が、京アニの特色であり、本質です。
換言すれば、作画ばかりが評価の対象にされるという、不幸というか宿命を背負っているともいえます。
オリジナル作品「ムント」は、あまり評価されなかったようですし。
文学者でいえば、泉鏡花(いずみきょうか)の名人芸というところでしょうか?
そして、泉鏡花も生前は、心ない批評家から批判を浴びていました。
「文章で踊っているだけの作家」と。

京アニの高い技術への信頼は、絶大なものがあります。そして、それに応えられるだけの仕事を積み重ねてきました。
Kanon2期のときも、みんな声をそろえてましたから。
「京アニがやるんだから、今度こそ安心だ!」
1期の東映の立場がありませんでしたねwwあごアニメとか酷評されてたしね。

一方で、技術ばかりが語られるという弊害も見られます。
代表作「涼宮ハルヒの憂鬱」「けいおん!」が、ケースとして象徴的。
放映当時、アンチけいおんの共通項だった主張は。
「演奏場面に期待していたのに、それほどのクオリティじゃなかった!絶望した!(ハルヒと比べて!)」
軽音楽部を舞台にしている以上、演奏は重要な要素ではあります。
しかし、それのみで語られるというのは、いかがなものでしょうか?

余談ですが、アニメにおける演奏描写を語るとき、必ず引き合いに出される作品があります。
「トムとジェリー」というアメリカのアニメの「ピアノ・コンサート」という短篇。
タキシード姿のトムが、リサイタルでピアノを弾くという、ただそれだけのお話なのですが。
運指(指の動き)の一つ一つの動きを、曲と完全に一致させ、完璧にトレースするという離れ業によって、語り草となっています。
名人芸ともいうべき作画が高く評価され、アカデミー賞も受賞しました。
本場アメリカでも、それほどの職人気質を継げるアニメーターがついに育たなかったため、再現するのはもはや不可能とまで言われている、伝説的作品です。

京アニのメディアミックス手法も、毀誉褒貶の対象になりました。まあ角川さんの責任も大きい(てゆーか殆ど?)とは思いますが。
個人的には、エンドレスエイトは、アレはさすがにないよな、と思ってますww
アート分野にミニマリズムという手法があり、それに類似した試みと言えるかもしれません。
でも、公共放送で8週もかけてやるものではないと思います。トライするのなら、一つの作品の中で実験的に行うべきものでしょう。
いや、エンドレスエイトを全否定するのではありませんよ?あれが好きだという方だっていると思いますから。
存在をすべて否定される作品なんて、この世にあり得ません。それは人間の場合と同じです。

確立させた京アニブランドを、今後どう生かしていくのか。
京アニの行く末を占うときに、ちょっと気になっています。

☆シャフト

京アニを語りすぎたので、なるべく簡潔にまとめますね。
単純に括りをするなら。
シャフトは「新房以前」と「新房以後」に分けられるんじゃないでしょうか。
そして今や、シャフトイコール新房演出、が一般的なイメージだと思います。
新房以前にも、まほろまてぃっくのような人気シリーズがあったとしても、です。

演出の特異性については言うまでもないし、他の方が語ってくれるかな、と思います。
私が、シャフト演出で特徴的だと考えているのは、スタッフによる制作工程のメタ化です。
ぱにぽににしろ絶望先生にしろ、黒板のスタッフ落書き?を読み取るのに全神経を集中した視聴者も多かったはず。
アニメの見せ方としてどうよ?という意見もあったし、もっともだとも思います。
ただ言えることは、過去、あらゆるメディア(文学・美術・映画)が、それまでの常識をひっくり返すことによって進化してきました。
革新性、それは、アニメも例外ではないと思います。
「化物語」は、その具体的な証明というべき、大きな果実です。
西尾維新の個性と新房演出、そしてビジュアル的にも声優さん的にも魅力的なキャラが見事なコラボを果たした、まさに『幸福な作品』と言えるでしょう。

問題は、実験の美名のもとに、安易な再生産や受け手(視聴者)無視の風潮が発生することにあります。
これまた、あらゆるメディアについて、しばしば指摘されるところです。
作画枚数に関しては、最近ではエコアニメとすら言われているシャフト作品。
新房氏のやり方が、低予算にあえぐアニメ業界の救世主となり得るのか?
また、個性を重要視する作家がしばしば陥る『独善』を、新房氏は回避できるのか?
シャフトの推移を、暖かく見守っていきたいと思っています。

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コメント

こんにちは。普段の作品感想ではなかなかお邪魔してないので、せっかくなのでコメさせていただきます。

ピッコロさんのところでは面白い企画があったのですね。京アニとシャフトを比べるのは、純粋にアニメーションの問題として考えると疑問はありますが、時代性という側面から見ればたしかに、比較したくなるのもやむなし、といったところなのでしょうかね。シャフト信者としては、シャフトが京アニと肩を並べて語られているということだけで、なんだかニヤニヤしてくるのですけれどもw

シャフトが新房以前と以後がある、とのことですが、新房監督の演出も、シャフト以前と以後がある、というのが、新房昭之を昔から見てきた人たちの共通見解ですよね。自分は世代的な問題もあって、シャフト以前の新房昭之をあまり知っているわけではない(幽白世代ですが、作画演出なんて気にしてなかったし^^)ので、あまり口を出せない領域ではありますが。それでも、現行のシャフト作品は、新房演出というより、そのスタッフも含めての「シャフト演出」として定着していて、そのひとつの完成形が、「化物語」であったと見ています。バケを”革新性の証明”とおっしゃるSIGERUさんの意見には、大いに同意するところですね。

しかし芸術が革新性を求められるものならば、そろそろシャフト演出も、革新の時期かなとは思います。「ぱにぽに」以来のシャフト演出はとっくに円熟期を過ぎているでしょうから、新たなシャフト像、新房像を、確立して欲しいところでしょうか。龍輪直征の手腕には、ちょっと注目しています。


投稿: おパゲーヌス | 2010年3月14日 (日) 12時20分

おパゲーヌスさん、こんばんは!
長文の、力のこもったコメント、ありがとうございます。
拙記事は、ピッコロさん企画への応援のつもりで、急遽作成したものです。
こなれていない硬質な文だし、検証も充分とはいえません。
だからこそ、時宜を得た援護射撃をいただいて嬉しいな、と勝手に都合よく受け取っております。(笑)
>バケを”革新性の証明”とおっしゃるSIGERUさんの意見には、大いに同意するところですね
化物語が、アニメ作品としてすばらしい結果を出したという点については、共通の認識ですよね。
以下の文章は、おパゲーヌスさんと私とが、シャフトについて同じ認識の上に立っていることを前提としています。
要するに、この問題においては同志だよね?という意味ですww
>新房監督の演出も、シャフト以前と以後がある
なるほど!この視点は欠けていました。
なので、逆にお聞きしたいのですが。
>新房演出というより、そのスタッフも含めての「シャフト演出」として定着していて
新房演出は、実は、彼の独創ではないという意味なんでしょうか?
もしかして、シャフトのスタッフとのシンクロによるもの?協働作業の成果?
その辺り、詳しく教えてもらえるとありがたいです。とても興味があります。
>シャフト演出はとっくに円熟期を過ぎているでしょうから
拙記事の後段の論旨は、まさにソレです。
ダンスインザヴァンパイアバンドに、既に衰退の兆しが感じられます。夏のあらしにも。
検証が足りないままの拡大再生産、という意味です。
>龍輪直征の手腕には、ちょっと注目しています
この方は、まりほりの副監督とかだったのは分るのですが、シャフト演出にどんな新機軸を付加できそうなんでしょうか?
私も期待してみたいので…。

シャフト信者だとおっしゃるおパゲーヌスさんから、むしろ情報を得たいというのが、衷心からの気持ちです。
これをきっかけに、いろいろお話できるといいですね。

投稿: SIGERU | 2010年3月14日 (日) 21時37分

>要するに、この問題においては同志だよね?という意味ですww

もちろん、そう思っていただいて結構です。私なんぞでよければ、援護射撃だろうとなんだろうと、存分に利用してくださって結構です^^

>新房演出は、実は、彼の独創ではないという意味なんでしょうか?

自分もそこまで詳しくないですが、月詠以降のシャフト作品における新房監督の役割は、作家というよりも指揮官ですよね。とにかく監督としての名前を作品に付与して、あとはいかに指揮下の人材を配置し、その能力を引き出すか。そういう意味では、シャフト演出はスタッフの総力として、自分は評価しています。なので、自分はシャフトファンを公言できても、新房ファンを名乗るのは控えています。新房監督が最前線にいた頃を、あまり知りませんから。

自分はですので、シャフト教団大沼派信者という立場を、取っていますw

>ダンスインザヴァンパイアバンドに、既に衰退の兆しが感じられます。

ヴァンパイアは、従来のシャフト演出として定着したものを、打破しようという試みに見えますね。スタッフの陣容からして、だいぶ見慣れない布陣になりました。演出もだいぶ違いますね。ある人はヴァンパイアを、かつての新房演出に近いと評していますが、それに真っ向から異を唱える意見もあるようです。いずれにせよ、非シャフト的でありながら、かつてないような演出を確立させようという、ひとつの試金石だと思っています。

>龍輪直征

この人は「絶望」シリーズと「まりほり」ですね。自分は、大沼氏や尾石氏に比べて、申し訳ないけれど才能が感じられないというか、正直あまり好きではなかったんです。が、いま書いたようにヴァンパイアの出来を見て、改めて評価し直す必要がありそうだと、思っています。シリアスな作品をカッコよく作らせたら、シャフトの新境地を開拓できるのではないかと。そういう期待ですね。もちろん、もうちょっと見守っていかないといけませんが。。。


>おパゲーヌスさんから、むしろ情報を得たいというのが、衷心からの気持ちです。

うーん、役に立ちますかねw こういう話題をするためだけにでも、掲示板の方へお越し下さると、自分なんかよりずっと有益な話が聞けると思いますよ^^

>これをきっかけに、いろいろお話できるといいですね。

はい、どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: おパゲーヌス | 2010年3月15日 (月) 00時11分

おパゲーヌスさん、こんばんは!
またまた熱のこもったコメント、ありがとうございます。
今夜はアタフタしていますので、シンプルにお返事させていただきますね。ちょっと酔ってるしするし。
シャフト以前の新房氏では、ヤマモトヨーコ辺りを想起しますが、残念なことに個々の演出までは思い出せませんww
特異点っぽいおもしろい作品だった、という記憶だけはあるのですが。
>ヴァンパイアは、従来のシャフト演出として定着したものを、打破しようという試みに見えますね
自分の過去記事を読み返してみたら、#7「イノセント・ブラッド」が眼に止まりました。
「特異なカット割りで間を取る新房演出が、今回は冴えまくってましたね」
絶賛してるじゃないですかw
衰退って一体ww
ただ、他の話数では、どうかな。本当に成功しているのかな…。
もはや直感レベルなので、詳しくはあらためて書きますね。

余談ですが、批評においても、直感は重要だと思います。
小林秀雄がモオツアルトやランボオの批評で繰り広げたのも、直感の極端な演繹ですし。
街角を歩いていたら、突然、モオツアルトの弦楽五重奏が天啓のように閃いた、とか。
「悪の華」という巨大な球体に閉じ込められていたときに、ランボオの詩句が鳴り響いて、球体を打ち壊してくれたとか。
思い込みの産物ともいえるかも。でも、小林秀雄だから許されるということでww
ちなみに、直感といっても、もちろん、経験値の高次統合としての『直感』です。
裏づけも具体性もない、単なる『印象批評』は、キライですね。

投稿: SIGERU | 2010年3月16日 (火) 00時28分

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