鋼の錬金術師第22話感想
#22「遠くの背中」
リン王子たちが大総統らホムンクルスと戦う一方で、スカーの過去編を持ってきましたね。
イシュヴァール殲滅戦の悲劇が語られます。
いや~、眼が開いたリン王子、やっぱかっこいいっすね。動きがしなやかでシャープです。
グラトニーを一刀両断した剣技の冴えとか、もう拍手喝采。
大総統の死角に回り込むなんて、まるではじめの一歩とかボクサーさながらの戦闘カンですよ。
しかし、大総統の眼帯が外れ、ウロボロスの邪眼が!
開いた眼の対決は、どちらに軍配が上がるのか?
いいところで次回へ続くwww
スカーがロックベル夫妻を殺害したのは、不幸な誤解からでした。
病院で目覚めたとき、一家は全滅していた。兄の腕も、自分に移植されていた。
瞳の青いアメストリス人が傍にいた、不運にも。逆上したスカーは、彼らを敵とみなして…。
こうして、憎しみの連鎖が始まったのです。
ハガレンについては、いずれ真っ当な考察をしてみたいと思っていながら、なかなか果たせませんでした。
いや別に、ウィンリィに萌え~♪とかメイ・チャンやランファンは俺の嫁とかエドのチビネタワロスとか、充分楽しいんだけど。
今回の、イシュヴァール戦役描写をきっかけに、取っ掛かりの考察をしてみようと思います。固い文章になりますので、ご容赦を。
この作品の究極のテーマは、人間です。
もっと丁寧に言えば、人間のあり方です。
人間が、生物界にあって急速な進化を遂げることができたのは、火や武器の発明に象徴される、その技術力ゆえ。
ヒトが獲得しうる極限の技術。生命さえも錬成可能な、人類の不滅の夢。それが錬金術。
しかし、それを制御すべき心はどうなのか?人間は、高度な技術にふさわしい心を手に入れることができたのか?
答えは、残念ながら否(いな)。
キメラにされてしまったニーナはもちろん、ホムンクルスたちでさえも、ヒトの心の弱さの犠牲者と言えるかもしれません。
その矛盾が最大限に噴出したのが、イシュヴァール戦を初めとする、戦争という不条理でした。
スカーはテロリストです。アルの指摘どおり、錬金術を復讐の道具に使って、錬金術師を皆殺しにしようとするテロリストです。
目的のために手段を選ばない姿は、まさしく、世界同時テロを目論んだ現実世界のテロリストたちと同じ思想に立っていると言えるでしょう。
エルリック兄弟は、国家錬金術師でありながら、体制内で矛盾と戦おうとする反抗者、異端児。
しかし、憎悪に凝り固まったスカーからすれば、マスタング同様、体制の犬としか見えない。
先に手を出したのはアメストリス人だと主張し続けるスカー。
彼は、憎しみの連鎖の正体に、実は気づいています。だからこそ、震えながら銃を向けたウィンリィに、おまえには俺を撃つ権利がある、と告げるのです。
しかし、撃った瞬間、俺はおまえを敵とみなして殺す、とも。
もはや、正しいとか正しくないは関係ありません。そこには不条理な敵対関係が、憎しみがあるだけです。
この物語の場合は、国家的陰謀がイシュヴァール殲滅戦の背後に潜んでいるため、スカーの言うことも頷けなくはありません。
しかし、現実の紛争では、どっちが先に引き金を引いたかなんて、鶏と卵の関係にしか過ぎない。
パレスチナ問題しかり、アイルランド問題しかり、アフガン紛争しかり、イタリア南北問題しかり。
本当に悪い奴(原因を作り出した奴)は隠れていて、戦わされた当事者同士が憎しみを増幅させているのが現実です。
ハガレンの物語は、こうした悲しい現実のうえに成立している、現実以上に現実的な虚構世界と言えるでしょう。
だから、マンガやアニメというジャンルを超えて、広範な読者を獲得しているのだと思います。
えーと、ご清聴ありがとうございました。(ノ∀`)
かなり抽象的に語ってしまいましたが、ハガレンは別に思想マンガじゃありません。
そこには、様々な人間たちがいて、複雑な葛藤があります。
物語としてのハガレンの尽きない魅力の源泉について、自分の中で整理し直し、またきちんと考察してみたいと思います。
次回「戦場の少女」
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